覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『冥府の建築家−ジルベール・クラヴェル伝』=田中純・著」、『毎日新聞』2013年02月24日(日)付。




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今週の本棚:持田叙子・評 『冥府の建築家−ジルベール・クラヴェル伝』=田中純・著
毎日新聞 2013年02月24日 東京朝刊


 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (みすず書房・5250円)

 ◇「骸」をひきずり「不死」の建築をのこした男の生涯

 これは、生れつき重い宿痾(しゅくあ)をかかえて肉体の苦痛になやみ、それゆえに全霊をこめて美に焦(こが)れ、原始の匂う海と岩、洞窟を愛し−−とうとうイタリアのアマルフィ海岸に古代と近未来をワープする超時空的な芸術住居をつくって夭折(ようせつ)した、ある未完の建築家そして思想家にかんする評伝である。

 つねに死とのせめぎあいにあった彼のいのちの体現ともいえる「洞窟住居群」は、ヴェスヴィオ火山の領するソレント半島の古い漁師町ポジターノの断崖に残り、今も奇怪な姿を濃密な潮風にさらしつづけている。

 彼の名はジルベール・クラヴェル。初の評伝と銘うつ本書の前半はまず、スイスとイタリア各地に残る彼の日記や書簡を探して彼のことばによりそい、この知られざる芸術家の内なる世界を深く掘りおこす。著者の緻密な調査と誠実な筆致ゆえに、療養と独学の中でジルベールがはぐくむ特異な生命観や身体意識は、決して有閑階級の畸人(きじん)の特殊なものと思われず、むしろ清冽(せいれつ)な抒情(じょじょう)性と哀(かな)しみをおびて私たちの身心の生死の核にも突きささる。

 スイス、バーゼルの資産家の生れ。入院と手術の連続で「人生全体が瓦礫(がれき)」と絶望する中、死を新たな生への復活とする古代芸術にあこがれた。病む肉体にはらむ愛情もゆたかで、弟を熱愛し、男女問わず恋した。忘れえぬ人アーシアへの恋情をつづる日記のくだりは圧巻。「きみはいつぼくの孤独のなかへ来てくれるの?」「ああ、風と波をとどめようとする、われら所有欲に駆られた人間たち」などのことばは、虹色に響くこだまのよう。

 著者はいとも繊細に、彼の脳裏をただよう詩想や芸術観のおもかげを捉える。もっぱら人生軸の事実を追う通常の評伝とはかなり異質だ。夢の交錯する心象世界に深く分け入る。

 とともに著者の筆は平面にも広くのびる。二〇世紀初頭のデカダンスからアヴァンギャルド芸術運動の中に彼を置き、周囲にピカソやキリコ、リルケ、神話学者バッハオーフェン、舞踊芸術家ディアギレフらを配す。

 ジルベールを支える古代へのあこがれは、ある意味で当時の前衛。二〇世紀初頭は、神話学や民俗学が台頭した古代研究の時代。彼もエジプトに旅し、周囲の砂岩、自然と同化する遺跡に<建築>の本質をみた。不死を志向する古代の円環的思想を現代芸術にいかすべく、小説や舞台装置も手がけた。しかしやはり、岬にそびえる岩石建築こそが彼の最高傑作……。

 本書後半は禁欲的な筆致から一転、はげしく華やかにポジターノの土地の魔力、洞窟住居の謎と神秘に迫る。このあたりは、澁澤龍彦種村季弘の評論の蠱惑(こわく)的手法を受け継ぐか。

 一九〇九年、岬に朽ちる石の塔に魅せられピラミッドに模して改造したジルベールは、以来約二〇年かけ周辺の断崖に岩室群をつくり、さらに岩盤を爆破、地下迷宮を築き、すべてを回廊でつなぐ。地下中心に卵形のホールを設ける。これは手術で失われた彼の睾丸(こうがん)か、あるいは安らげる子宮の象徴か−−? まるで肉体のような建築。とともにそれは地底から天空に炎上する火山の喩(たとえ)であり、彼がつねに幻視していた死後の世界、冥府の喩でもある。

 多彩な読みが展開される。「骸(むくろ)」の肉体をひきずりジルベールが海と大地のはざまに築いた「不死」の建築が、あざやかに可視化される。ひっきょうそれは、彼が生涯をかけて書いたすばらしく甘美なメルヘンであるのにちがいない。本書は、古代神話の地層を掘って再生された、新しい神話のものがたりでもある。
    −−「今週の本棚:持田叙子・評 『冥府の建築家−ジルベール・クラヴェル伝』=田中純・著」、『毎日新聞』2013年02月24日(日)付。

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