「人間を内面から変えていくという、そういう人間変革の問題」としての「社会変革」





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 −−ある意味でキリスト教を捨てて文学をやったというか、そういう人の中にほんとうのキリスト教的なものがあったのでしょうか?

 そこが内村などには非常に問題になったところでしょうが、例の芸術的価値の追求や政治的価値の追求と宗教的価値の追求の間にみられる激しい緊張の関係、相当のところまで両者は重なり合っていきながら、やはり窮極のところで激しく衝突し、切りさかれることになる、そういう点が内村の場合には非常に問題となっているようですね。ともかく、こうして内面的緊張がなくなっていくと、もうプロテスタンティズムマルキシズムにたちまち席巻されるという弱さを内包してくるわけです。大正末期から昭和初年にそれが現実に現れることになった。内村の場合には一面社会主義に非常に近づきながら、一面その現世主義や科学主義にはきびしいですね。彼には、アメリカ人にみられるような小ブルジョア的社会観が入ってきていると言ってしまえば、それまでですが、私はそれだけではないように思う。内村は、言ってしまえば、社会主義が日本の財閥的な貪欲に対して批判を加えることにはもちろん賛成するし、それから、アメリカ的というよりは、いわゆる自由主義化したキリスト教あるいは富の力に屈服したキリスト教社会主義が批判的であることには賛成なのですが、人間を内面から変えていくという、そういう人間変革の問題を完全に放棄すると見えたときに、逆に彼は社会主義に反対することになるのですね。そうした現世主義の面がちらっとでも見えると、たとえばSCM(Social Christian Movement)に対してもきびしく批判した。ともかく、内面変革の問題を少しでも薄めると、内村は非常に強い反撥に出てきますね。いまの全共闘派の人々の一部が内村のものを読んでいると言いますが、どこまで内村の思想的根基を理解しているかは別として、たとえばそういう点なんかは、彼らの心の琴線に触れるところの一つじゃないかと思います。そうした意味での内村的問題がいま出てきているように思うのです。ともかく彼は、そうしたわけで、どうしても社会主義運動に入り込んではいけなかった、近づいても入り込んでいけなかったのだと思います。
    −−大塚久雄『歴史と現代』朝日新聞社、1979年、169−170頁。

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社会と宗教の関係は単純ではありませんが、宗教によって大地を耕された人間が、他者と連帯し、地の国の諸難に向き合おうとするのは、当然のことと言えるかと思います。

社会に積極的に関わることが大事なのか、それとも、教会や寺院形成……ここでいう形成とは、物質的な意義だけでなく、そこに集まってくる人々の薫陶・教育などソフトな面……が大事なのか。

このことも単純ではなく一慨に「こうあるべし」と言い切ることは難しい。しかし、近代日本のキリスト教史を概観すると、再渡来後、文明開花の波にのって順調に拡大していくものの、鹿鳴館時代の終焉と進化論の紹介、そして内村鑑三不敬事件の影響は、キリスト教の布教を阻害する要因として機能します。特に内村事件以降、教会のメインストリームというのは、どちらかといえば、先に述べた教会形成に重点を置くことになります。

もちろん、社会との接点を全く閉ざした訳ではありません。例えば、教会形成派の頭目といってよい植村正久ですが、彼の主宰する『福音新報』は、韓国併合の時から朝鮮人の独立希求を諒としてきたし、併合後は、何度の、その武断統治を批判しています。

しかし、社会派よりも教会形成が重視されてことは否定できないと思います。そしてその反撥的現象として、キリスト教を初めとする信仰から離反あるいは卒業して、社会運動にどっぷり入っていく人々も出てくる。

まさに、社会活動か信仰かという二者択一といってよいでしょう。ここに近代日本のキリスト教受容の特色を見て取れることができるかと思います。
※ここでは主論ではありませんが、そうした社会か信仰かというバランスの見事な軌跡を描いたのは吉野作造ではないかと思います。

さて、内村鑑三は、おおむね前期の、そのジャーナリスト的活動の軌跡を辿ると、日露戦争における「非戦論」に代表されるように、社会に対して積極的に関わる姿をその特色とみてとることができます。

それとは対照的なのが後期の内村像ではないかと思います。再臨運動に従事する姿は、どちらかといえば、内面の信仰を深めていく時期と捉えてしまいそうになります。しかし、再臨運動期の内村の場合、社会と遮断されていたのかと捉えてしまうと、それは大きな誤解になってしまうことも承知おくことが必要だと思います。

そもそも再臨運動自体が、まさに「この世を撃つ」“預言者的”なものであり、決して遮断された訳でもありません。

さて……
冒頭に掲載したのは、内村に師事し、戦後民主主義の論壇をリードした大塚久雄のインタビューからです。この文章で大塚は、内村を事例にとりながら、何かを変革していくことの「根柢」には何が必要なのかをコンパクトにまとめている部分ですので、少し抜き書きした次第です。

大正末期〜昭和初期は、民本主義が手ぬるいとして、左翼的言説にみながみな……たとえば信仰をうしなってまで……なだれをうっていた時代です。しかし蓋をあけてみると、そうした活動家たちのなかには、一八〇度くるっとかわってしまう場合も多々出てくる。そうした事例を省みるならば、社会変革というのは、事象としては確かに「機会的変革」であってよいわけですが、それに携わるということは「人間を内面から変えていくという、そういう人間変革の問題」を失念してしまうと危機的状況を呈してしまう……そう捉えることができるかも知れません。


大塚より後輩にあたる宮田光雄は、『歴史と現代』が刊行されたちょうど10年前に『現代日本の民主主義 −制度をつくる精神−』において次のように述べていますが……「真の意味での体制変革は、たんに現存体制内部の個々的な弊害を指摘するだけで足れりとするものではない。それは、根底的には、新しい価値体系の創造を不可欠とする以上、人間の変革なしにはありえない」……これも大切なポイントになってくると思います。

このあたりを内村門下の南原繁に言わせると「人間革命」ということになるのでしょうが、、、どうも最近、そういうことを、とりあえずおいといてでも、やってしまえ!という論調が強いものですから、少し紹介した次第です。

まあ、そういうのが「日和見主義」とか「臆病」とか、罵られることは承知ですが、そうした変革なしには……もちろん、過度の「徳論」に触れる必要はないと思いますが……、なにもあり得ないとは思います。




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 こうしてみれば、社会的革新の運動は、つねにそれを支えるひとりびとりの人間の内面的な自己紀律によってこそ担保され、おし進められるといわねばならない。真の意味での体制変革は、たんに現存体制内部の個々的な弊害を指摘するだけで足れりとするものではない。それは、根底的には、新しい価値体系の創造を不可欠とする以上、人間の変革なしにはありえない。たとえば、現代の日本では、経済競争のメカニズムが作動せず、大企業にのみ利潤が沈澱しがちである。そうした大資本の恩恵に浴する労働組合が、労働者としての社会連帯の精神に欠け、また企業主義委に埋没するあまり、大企業のもたらす公害にたいして市民的連帯の立場をとり難い事実も、しばしば指摘されている。このような例をみれば、社会の革新は、いわば制度の底辺における革新、日常的な行動様式や人間の価値観を不断に変革していく地味な努力の蓄積を必要としているのである。
    −−宮田光雄『現代日本の民主主義 −制度をつくる精神−』岩波新書、1969年、204−205頁。

 

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