書評:鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書、2013年。


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 何よりも歩くうえで困るのは、旅人のために設けられていた茶店や立場(たてば)という休憩所がなくなったことである。江戸時代の街道では、歩き疲れたり、一息入れたりする茶店や立場が、渡河点や峠の上など随所に設けられていて、旅人たちは実際に活用していた。
 江戸時代の旅の復元では、これをどうするかが検討され、「茶店」を動かしたらどう?」この一言がグッドアイデアと採用された。
 車社会の利点を活かして、動く茶店をつくる。移動茶店の開店。第一回の宝来講では、大学の校友会がたまたま所有していたジープを一台借り受け、学生の中から男女一名ずつを選んでサポート隊とした。サポート隊の役割は、休憩地点に現れて、お茶やお菓子などを供して接待すること。数十人分の昼食を調達することであった。お茶は宿屋で朝のうちに沸かしてもらって、大きな魔法瓶に入れてもらうとよいが、お菓子や薬、その他必要なものを調達することから、会計の役割も加わった。
    −−鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書、2013年、146−147頁。

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鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と心』中公新書、読了。江戸時代の庶民にとって最も代表的な「旅」がお伊勢参り

……と聞けば幕末の「ええじゃないか」を想起しがちだが、本書は熱狂的な特異点だけに注目するのではなく(もちろん、その“事件”のインパクトは承知の上ですが)、江戸時代の庶民がどのように「旅」を経験したのか、史料から明らかにする。

確かに「信心」が理由であれば、職場や家庭を離脱した「抜け参り」は許され、開放的外部との接触が人を蘇生させる。しかし、費用はいくらぐらい? 何を食べた?等々……その衣食住の受け入れや旅の実際については、本書で初めて知ることが多い。

圧巻は「歩く旅・現在 お伊勢参りを体験する」。学生とわらじを編んで、筆者が教鞭を執る奈良大学から5日かけて励まし合い、接待を受けお伊勢様へ歩いていく。見えてくるのは現代には「道中」がないことだ。

歴史としての「事柄」だけでなく、本書には地域開発の在り方から生きた教育のヒントまで見え隠れする好著。








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