覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『ウェブ文明論』=池田純一・著」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。
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今週の本棚:養老孟司・評 『ウェブ文明論』=池田純一・著
毎日新聞 2013年07月07日 東京朝刊
(新潮選書・1575円)
これはウェブを創りだし、さらにそれを最大限に利用することで、いまも変化しつつある米国社会論である。良かれ悪(あ)しかれ、日本にとって縁の切れない米国という存在を、ウェブという面から見たらどうなのか。興味深い論考になるはずである。
本書は文芸誌『新潮』に三年にわたって連載された「アメリカスケッチ2・0」をまとめている。司馬遼太郎の『アメリカ素描』から書き始め、スケッチという表現は村上春樹の『回転木馬のデッドヒート』から採ったという。「フィクションとノンフィクションの中間存在」をスケッチと表現する村上の用語が「事実の記録とその価値評価が基本的に混在するウェブ時代のテキスト」にふさわしいと著者はいう。しかし全体の記述は事実の方に寄り添う。文芸誌での連載が著者にこうした表現をとらせたのかもしれない。「2・0」はウェブ2・0を踏まえている。
全体は四部に分かれる。第一部は広いアメリカの地理的多様性を示すために、具体的に以下のような都市を扱う。西洋文明の後継者としての意識を露(あら)わにするワシントン、あらゆる意味での交易都市としてのニューヨーク、経済や技術の面で発展しつつあるヒューストン、というふうな具合である。
それがウェブとどう関係するのか。第一部の総論で著者はいう。そこを通底するものとしてたとえば法がある。米国が弁護士だらけだということは周知であろう。「アメリカの法文化とソフトウェア文化はどこかで基盤を共有している」。「今日のウェブのリンク構造は法律文書を整備する文化の中から生まれたものではないかと思えてしまう」。こうした著者の指摘は鋭い。
第二部の主題は経済と企業、あるいは起業といっていい。公共のための支出は、もっぱら政府がする。そういう常識の日本では、寄付といえばお祭りの寄付くらいだが、米国はいわば寄付社会である。子ども時代からファンドレイジング、つまり金の集め方を教わっていく。だからウェブ上で資金集めをするクラウドファンディングもある。
第三部は「メディアと歴史」と題されている。しかしかならずしもその字面から予想されるような内容ではない。自然史博物館の項まで含まれているからである。博物学とウェブがきわめて相性がいい。関係者はそれをよく知っている。ウェブのおかげで、博物学には革命的な変化が起こりつつある。こういう項が含まれていることは、著者の目配りの良さを示している。
第四部は「政治とコミュニケーション」である。たとえばオバマの選挙戦にウェブがどのような重要な役割を果たしたか、私のような政治音痴が読んでも興味深い面がある。なにしろ現在進行形に近い話題だからである。現在の米国社会で、ウェブが果たしている役割がいちばんはっきり見えている局面かもしれない。
読了して思う。ウェブ文明論がウェブでなく、文芸誌の連載、さらには単行本となっているのは、どういうことか。将来こうした論考がもっぱらウェブに変わるだろうか。
これを時代の移り変わりの一時期と捉える人もあろう。むしろこうした二重性こそ、豊かな文化だと思う人もあるかもしれない。ともあれただいま現在、生きて動いている巨大社会を捉えようとする著者の試みは、事の成否に関わりなく評価できる。まさにこの作業自体がいささかアメリカ的だ、というべきであろうか。
−−「今週の本棚:養老孟司・評 『ウェブ文明論』=池田純一・著」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20130707ddm015070027000c.html