覚え書:「レーン・宮沢事件:元北大生の妹、来日 秘密保護法を危惧」、『毎日新聞』2014年02月22日(土)付、「(特定秘密法)スパイ冤罪遺族『今の政治怖い』 秘密法の廃止、訴え 秋間美江子さん」、『朝日新聞』2014年02月23日(日)付。


        • -

レーン・宮沢事件:元北大生の妹、来日 秘密保護法を危惧
毎日新聞 2014年02月22日 東京朝刊

秘密保護法の廃止を訴えるため米国から来日した秋間美江子さん=成田空港で2014年2月21日午後5時20分、武市公孝撮影
秘密保護法の廃止を訴えるため米国から来日した秋間美江子さん=成田空港で2014年2月21日午後5時20分、武市公孝撮影
 「私たちのような人間が再び出ないようにしてほしい」。太平洋戦争開戦当日の1941年12月8日、スパイ容疑で逮捕され、27歳で亡くなった元北海道帝国大生、宮沢弘幸さんの妹で、米コロラド州に住む秋間美江子さん(87)が病身を押し21日、来日した。国家機密の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法の成立(昨年12月)に心を痛め、弘幸さんの命日の22日、東京都内で開かれる集会で、同法の廃止を訴える。

 兄の悲劇は「レーン・宮沢事件」と呼ばれる。秋間さんらは「スパイの家族」として生き、「苦しみは経験した者にしか分からない」と話す。

 秋間さんは近年、病気で手術を繰り返してきたが、集会を知り急きょ駆けつけた。車いすに乗って成田空港に降り立った秋間さんは約13時間の長旅に時折、疲れた表情を浮かべながらも、「日本はせっかく民主主義の国になったのだから、人を黙らせる法を廃止してほしい。今からでも間に合う」とはっきりとした口調で語った。【青島顕】

==============

 ■ことば

 ◇レーン・宮沢事件

 1941年、宮沢弘幸さんと英語教師のレーンさん夫妻が当時の軍機保護法違反容疑で特高警察に逮捕され、懲役15〜12年が確定した。レーン夫妻は戦争中に交換船で帰国したが、宮沢さんは戦後釈放されたものの、47年2月22日に肺結核で死亡した。90年代になって、主な容疑は「根室に海軍飛行場が存在することなどをレーン夫妻に話した」であることが判明した。飛行場の存在は、新聞報道などで当時広く知られていた。
    −−「レーン・宮沢事件:元北大生の妹、来日 秘密保護法を危惧」、『毎日新聞』2014年02月22日(土)付。

        • -

http://mainichi.jp/shimen/news/20140222ddm012040036000c.html



        • -

(特定秘密法)スパイ冤罪遺族「今の政治怖い」 秘密法の廃止、訴え 秋間美江子さん

 戦争中に軍事機密を米国人教師に漏らしたとして、当時の軍機保護法違反の容疑で逮捕された故・宮沢弘幸さんの追悼集会が22日、東京都新宿区の寺院であった。米国に住む妹の秋間美江子さん(87)は、知る権利が制約された同法と今年12月までに施行される特定秘密保護法の共通点を指摘。「再び同じ時代が来てはいけません」と述べ、法律の廃止を訴えた。

 宮沢さんは北海道帝国大(現北海道大)の学生だった頃、旅行中などに知った軍司令部や海軍飛行場の場所などを米国人教師に話した。ところが、1941年12月に逮捕され、非公開の裁判で懲役15年の判決が確定。終戦後間もなく釈放されたが、獄中で患った結核が悪化して47年2月22日に27歳で亡くなった。事件はのちに「レーン・宮沢事件」と呼ばれるようになった。

 追悼集会は「北大生・宮沢弘幸『スパイ冤罪(えんざい)事件』の真相を広める会」が開催し、約140人が参加。事件当時に東京にあった実家を特高警察から捜索され、自身も尾行されたという秋間さんは「私には青春はなく、どこでも黒い影がついてるようでした」と振り返った。そのうえで「(秘密法をつくった)今の政治は怖い」と語った。(佐藤達弥)
    −−「(特定秘密法)スパイ冤罪遺族『今の政治怖い』 秘密法の廃止、訴え 秋間美江子さん」、『朝日新聞』2014年02月23日(日)付。

        • -

http://www.asahi.com/articles/DA3S10994431.html

Resize0318

Resize0319

Resize0317