覚え書:「発信箱:米倉斉加年さん=落合博(論説委員)」、『毎日新聞』2014年09月18日(木)付。

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発信箱:米倉斉加年さん=落合博(論説委員
毎日新聞 2014年09月18日

 「グラバーの息子」は英国人の父と日本人の母を持ち、長崎で生まれ育った倉場富三郎(英名トーマス・アルバート・グラバー)の生涯を描いた演劇作品で、米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが富三郎役のほか演出も担当した。

 太平洋戦争中は軍部に監視され、スパイの疑いをかけられながら日本人として生きた富三郎は敗戦後は父の国を裏切った罪、母の国と古里を原爆で地獄に落とした罪にさいなまれた。そして、1945年8月26日、自ら命を絶った。

 米倉さんと親交があり、泣きながら舞台を見たという東京生まれの在日3世、辛淑玉(シン・スゴ)さんは「ディアスポラ(離散)の葛藤を見事に描いた作品だった」と評した。英国と日本という二つの国に引き裂かれた富三郎の姿は日本と韓国・朝鮮のはざまで生きる在日の姿とも重なり合うのだ。

 米倉さんは初めて主役を務めた木下順二作のテレビドラマ「口笛が冬の空に…」(61年、NHK)で、韓国人の少年を演じた。後年、日本経済新聞の連載「青春の道標」で「その後の韓国、朝鮮との関わりを考えると、何か不思議なめぐりあわせであった」と振り返っている。

 と言うのも、米倉さんは80年代、朝鮮の民族衣装を着てテレビCMに出演した。いじめられて帰ってきた子どもが「お父さん、うちは朝鮮人なの?」と尋ねると、米倉さんは悠然として「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?と言っておけ」と答えたという。辛さんからこのエピソードを聞いて胸を突かれた思いがした。

 否定は差別につながる。人種や民族は選べない。生まれた土地が古里なのだ。国を超えた生き方を貫いて米倉さんは亡くなった。
    −−「発信箱:米倉斉加年さん=落合博(論説委員)」、『毎日新聞』2014年09月18日(木)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/20140918k0000m070146000c.html



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