覚え書:「今週の本棚:岩間陽子・評 『国際法上の自衛権 新装版』=田岡良一・著」、『毎日新聞』2014年10月26日(日)付。

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今週の本棚:岩間陽子・評 『国際法上の自衛権 新装版』=田岡良一・著
毎日新聞 2014年10月26日 東京朝刊
 
 (勁草書房・5400円)

 ◇大動乱期を生き抜いた自由な精神

 決して一般向けとは言えない、初版は半世紀も前に出された国際法の専門書を、あえてとりあげようと思ったのは、田岡良一という名前が、私にとっては忘れられない名前だったからだ。

 「私の先生は二人おって、国際法の先生が田岡(良一)先生で、政治学の先生が猪木(正道)先生」

 と、恩師高坂正堯(こうさかまさたか)先生は常々言われていた。お二人の思い出話は折にふれ伺っていたので、一度もお会いしたことはないのだが、なんとなく知らない人のような気がしない。

 田岡先生は、講義の最初にその時々の時事解説をされ、その部分だけを聞きにきて、終わると出て行ってしまう学生が結構いた。このことは、田岡先生にとって名誉なことであったに違いない、と高坂先生は言っておられた。

 最も印象に残っているのは、冷戦が終わって間もない頃、いつものように大勢でゼミ後の昼食を済ませた時、ソ連崩壊について先生がポロリと言われた言葉である。

 「田岡先生は、あんな野蛮な奴(やつ)らは、ほっといたらそのうち勝手にくたばりよる、と言うてはった」

 私はその言葉にいたく感じ入って、「それは結局、恐ろしく正しかったですねえ」と申し上げると、「そうでしょ、結局正しかったでしょ」と強い口調で、目をむいて答えられた。

 ジョージ・F・ケナンが提唱した封じ込めの本質とは、結局そういうことだったのだと思う。がたがた大騒ぎせずに、自分たちの文明に自信を持ち、最小限の警戒を怠らなければ、そのうち共産主義などというものは、勝手に歴史のかなたに去っていく。それゆえケナンは、NATOにも、核兵器にも反対だった。そのようなものは、西側の強さとは本質的に関係のないことだと思っていた。

 冷戦のさなかに京都の国際法の先生が、そのような冷静な目を持ち続けることができたことに、私は驚いた。田岡先生が京都弁のアクセントで語られたのかは存じ上げないが、高坂先生を通じて接したその慧眼(けいがん)に、私は深い感銘を受けた。

 田岡良一氏は1898年生まれ、京都帝国大学法学部卒。1924年から東北帝国大学助教授、後に同教授、1940年から60年まで京都大学法学部教授。退官後も研究を続ける傍ら、国際法学会理事長、常設仲裁裁判所判事などを務めている。

 その著作歴からだけでも、田岡氏が、日本と世界に起こっていることに強い関心を持ち、国際法を通じて真剣に関わり合おうとしてきたことがよく分かる。1932年の論文「不戦条約について」では、28年締結の不戦条約を取り上げ、31年に始まった満州事変の法的正当性にも触れている。不戦条約は戦争を禁止するが、「戦争に至らない武力行動」を禁止しない、という解釈を取って満州事変を正当化しようとする説を一刀両断にし、また、「満州事変に前行する国民政府の排日政策の中に、国際法違反の行動があった」としても、それを理由に中国への武力行使を、不戦条約への留保としての自衛権によって正当化できないと主張した。(『国際法上の自衛権』182頁(ページ))いずれも当時の日本の行動の法的正当性を否定する主張である。

 33年、日本が国際連盟を脱退するや否や、論文「連盟脱退と委任統治の関係に関する所説に就いて」を書いた。日本が第一次大戦後に委任統治領として管理してきた旧ドイツ領の南洋諸島は、連盟脱退によってどういう影響を受けるのか。この問題提起は、41年に『委任統治の本質』という単行本となっている。37年に『空襲と国際法』、戦中の44年に『戦争法の基本問題』。戦後は成立と同時に国際連合憲章の研究に取り組み、50年には『永世中立と日本の安全保障』という書を出している。

 『国際法上の自衛権』は、1964年に初版が書かれ、81年に補訂版が出されている。本書は、内容的には81年版のまま、新装復刊となっている。国際法上の自衛権は、国内法上の自衛権概念とは区別されるべきであるとして、第一次大戦までの伝統的国際法学における自衛権概念と、第一次大戦後の新自衛権概念を、それぞれ実証的に研究した書である。

 後者の新自衛権概念について田岡氏は、前述の不戦条約でも国連憲章でも、武力の行使を禁止し、自衛権は武力攻撃を受けた場合のみに限ることを定めようとしたが、これを裏打ちするための法的機構の設置は、十分に行われなかったことを指摘する。これら不完全な国際社会の法的機構をより完全なものに発展させることが、まず必要であるのは当然であるが、現状の不完全な法的機構の下における「自力救済の合理的な限界」というものについて考えることも国際法学の任務だとして、その条件をも論じている。

 読みながら、何物にもとらわれず、誰にも迎合することのない、その自由な精神に魅了された。自衛権の実証的研究としての価値もさることながら、二つの大戦と冷戦という大動乱期を、自由な批判的精神を失うことなく生き抜いた、一人の日本の知識人、田岡良一という存在を改めて思い出させてくれたことを、本書の復刊に感謝したい。
    −−「今週の本棚:岩間陽子・評 『国際法上の自衛権 新装版』=田岡良一・著」、『毎日新聞』2014年10月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20141026ddm015070027000c.html





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