書評:石井光太『浮浪児1945− 戦争が生んだ子供たち』新潮社、2014年。

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石井光太『浮浪児1945− 戦争が生んだ子供たち』新潮社、読了。起点の東京大空襲から平成までーー。先の戦争で家族を失い浮浪児となった子供たち。その実像を、記録資料やすでに高齢者となったかつての浮浪児百人以上の聞き取りから迫っていく力作 

終戦から約七十年、日本の研究者やメディアは膨大な視点から戦争を取り上げてきたはずなのに、戦後間もない頃に闇市やパンパンとともに敗戦の象徴とされていた浮浪児に関する実態だけが、歴史から抹殺されたかのように空白のままだ」から本書は貴重なルポルタージュだ。

戦災孤児は約12万人、うち浮浪児は推定3万5千人(『朝日年鑑』1948)。上野駅の通路を住処にゴミをあさり闇市で盗んで食いついだ。警察の「刈り込み」による施設収容は、保護とは程遠い強制労働。幾重もの疎外の対象となった浮浪児こそ戦争最大の被害者といってよい。

45年年末までは、上野の浮浪児は戦災孤児中心で靴磨きや新聞売りが多数を占めたが、以後「ワル」が増加する。メディアの上野界隈に対する治安危惧の報道が、地方の不良少年たちを上野に吸い寄せたのだ。かくして“上野に行くも地獄、施設に行くも地獄”

46年、上野でパンパンが急増するが、RAA(特殊慰安施設協会)の廃止がその理由の1つという。RAAとは旧内務省進駐軍のために作った慰安所のこと。エレノア・ルーズベルトの意向と性病率の高さからGHQは解散を要求。失職は上野へ誘うことになった。

「新日本女性に告ぐ!戦後処理の国家的緊急施設の一端として進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む!」

浮浪児と同じくパンパンも蔑まれたが、両者共に日本のご都合主義の「棄民」政策が作り出したもの。弱者は決して自己責任などではない。

極度の飢えと混乱。幼い子供がたった一人で生き抜いていくことは想像を絶する過酷さを伴う。本書は美化するでも蔑むでもなく淡々と描いていく。目の前で命を失う子供、あるいは自殺していく子供。誰もが浮浪児やパンパンを捨て駒としてあつかっていく。

浮浪児を取り巻く環境の変化は、46年に設立された孤児院「愛児の家」の登場だ。上野で見つけた浮浪児たちを連れ帰り、衣食住を提供し、就学や就労の世話をした。けんかやトラブルはつきないが、誰もが「ママさん」への信頼を今なお隠せない。

「僕自身が僕のことをわからない」−−。
圧巻は、浮浪児たちの「六十余年の後」を追うくだり。バブルで大成功したあげくその崩壊を一人で引き受けた者、高度経済成長の陰と日向で苦闘した者。しかし、施設育ちは話せても、浮浪児だったことは話せない者が多い。

経済発展の連動でしばしば行われるのが町の「浄化作戦」。ひとはそのことで、ステージアップを夢想する。しかし社会構造が生み出した「浮浪児」を排除することが「浄化」なのだろうか。棄民で経済発展を錯覚する眼差しそのものを疑うほかない。

上野の地下道は、ペンキの塗り直しを重ねるが70年前のそのままだという。寝泊まりする人間は今もたえない。あの戦争は終わっていない、むしろその「余塵」と、みずから終わったのだと「ごまかそう」とする中で生きているのではないか、そう考えさせられた。





 
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