覚え書:「ニュースの扉:佐伯一麦さんと歩く神戸・長田区 「復興」が持ち去った下町の根っこ」、『朝日新聞』2015年01月12日(月)付。


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ニュースの扉:佐伯一麦さんと歩く神戸・長田区 「復興」が持ち去った下町の根っこ
2015年1月12日

(写真キャプション)大正筋商店街を歩く佐伯一麦さん。シャッターの閉まった商店が目立つ=神戸市長田区

 阪神大震災が起きてから、20回目の1月17日を迎える。神戸の繁華街に震災の痕は見あたらなくなった。「復興」によって失われたものはないのか。東日本大震災からも間もなく5年目。被災地、仙台に住む作家の佐伯一麦(かずみ)さん(55)と、神戸市長田区を訪ねた。

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 神戸市中心街から電車で約10分。JR新長田駅を出ると、店と店がデッキで結ばれた商店街が現れた。高層マンションも並ぶ。佐伯さんは「都会の郊外には、どこにでもあるような街並みだよね」と街を見上げた。

 20年前、辺りは多くが木造の戦前から続く商店街だった。だが震災直後に起きた火災に包まれ、大半の店は焼け落ちた。

 そのわずか2カ月後、市は復興計画をつくった。再開発は市の念願だった。2710億円を投じる復興事業「アスタ新長田」。説明資料には《21世紀の神戸の発展の核とすべく、神戸市が全力をあげて再開発に取り組んでいます》とある。

 商店街はシャッターが下りた店が目立つ。「ご愛顧ありがとうございました」と店頭に掲げる衣料品店もある。うどん屋の男性がぼやいた。「前は年寄りが住みやすかったん。でもマンションになって人が減った。昔は店がすし詰めの路地に、人が行き来しとったのに。再開発は失敗だったんやろ。下町の根っこごと持ってかれてしもうた」

 佐伯さんは「慣れない高層マンション暮らしは、年寄りにはきつい。ここで生きてきた人の再建を妨げるよね」と漏らす。

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 建物には人の暮らし方が表れる。例えば昔の一軒家は、子どもの成長にあわせて建て増したり、改築したりしていた。病院などにも増築した「ジョイント」があった。「『継ぎはぎ』でやってきたのが、戦後日本の暮らしだった」。だから路地にも生活感や味わいがあった。

 だがバブル期のころから「継ぎはぎ」は「建て直して再開発」という動きに変わった。震災の起きた1995年は、パソコンの基本ソフト「ウィンドウズ95」の発売と重なる。パソコンも、スマホも、古くなると交換する。歳月が「良いもの」として流れなくなった20年――。

 「街も古いと取りかえる。見栄えはいいけど、どこにでもある街ばかりになったよね。若い人だって、こぎれいで画一的な街をそんなに求めているのかな」

 商店街を進むと、1本だけ電柱があった。脇に立つれんが混じりのビルの壁には「昭和59年」の文字。入居する店の女性は「震災の時はすぐそこまで火がきたが、焼け残った」と説明してくれた。佐伯さんはビルに目をこらす。「震災前の風景や、人の暮らしが続いていることが大事だよね。ここは新しい街と古い街の差が見える『つなぎ目』。ほっとするでしょう」

 そして、東日本大震災津波被害に遭った沿岸部に思いを寄せた。土地のかさ上げが進み、巨大な防潮堤が築かれようとしている。「陸地と海の境にも『つなぎ目』はある。野鳥が来ているところも工事で生態系を壊して、すっぱり遮断してしまう」

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 ビルから5分ほど歩くと、再開発されていないアーケード街に出た。路地に「丸五市場」の看板。屋台が集まったような木造の商店街だ。「庶民はごみごみしたところに愛着を覚えるんだ」。自然と足が向く。

 ただ、そこもシャッター通り。戦後から続く履物店を閉じるという女性は「震災後に人がいなくなった」と嘆いた。

 「何でも経済優先になって、我々も『スクラップ・アンド・ビルド』の精神にやられてしまったところがある」と佐伯さんは感じる。大きなもうけが出なくても、小さな店が物を作って売るささやかな喜びもあるはずだ、と。「復興にも多様性を認めないとね。箱物をデン、と作るのは、多様性とは正反対のやり方だと思う」

 (文・高津祐典、写真・水野義則)

 ■佐伯の目 歳月の良さ、感じられる社会を

 歳月は、良いものでもある。少しずつ商いを広げ、小さいお店を改修して、増築する。そういうつなぎ目に人間の工夫があった。取り壊すと、その歳月は見えなくなるし、高層ビルは歳月による変化が見えにくいよね。

 歳月を積み重ねた充実感は人間の感じ方にもあって、それが小説の表現として厚みを与えていたこともあった。

 今は何でも、ちょっと古いものは変えてしまう。熟練のようなものを求めなくなってしまった。この20年は「失われた20年」とも重なる。かけがえのないはずの歳月をそう呼ぶことも、歳月を重んじない表れかもしれません。

 成長を前提にした1億人規模の復興より、例えば7千万人の規模に見合ったやり方もあるんじゃないかな。人間が強くあればいい、という方向に向かわずに。中国とは別のやり方で存在感を示せばいいんじゃないかな。弱くてもいいじゃない。

 商店街も駅前はチェーン店ばかり。奥に行けばいくほど味わいがあった。でも路地裏の商店街のような建物はなくなっていってしまう。高齢化や地方経済といった問題が、被災した弱いところから露骨に表れてくるしね。単なる郷愁だけでは続かないし、根本的に考え方が変わらないと駄目なんじゃないかと思う。

 日本はこういう国土だから、一生に1度くらいは災害に遭う可能性が高い。大きい災害に遭うと、ほかの被災地への想像力も生まれる。神戸に「失敗した」という声があるなら、東北の復興にもいかしてほしい。

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 さえき・かずみ 1959年仙台生まれ。著書に「鉄塔家族」(大佛次郎賞)、「ノルゲ」(野間文芸賞)、「還れぬ家」(毎日芸術賞)など。

 ◆キーワード

 <阪神大震災と神戸> 1995年1月17日早朝、マグニチュード7・3の揺れが襲った。神戸市は死者4571人、行方不明者2人を出した。全壊6万7421棟、半壊5万5145棟。火災により6965棟が全焼した。JR新長田駅のある神戸市長田区は、921人が死亡。火災による被害が大きく、市全体の被害の7割にあたる4759棟が全焼した。

 ◇ニュースの扉は毎週月曜日に掲載します。次回は「ガレッジセール・ゴリさんと訪れる沖縄」の予定です。
    −−「ニュースの扉:佐伯一麦さんと歩く神戸・長田区 「復興」が持ち去った下町の根っこ」、『朝日新聞』2015年01月12日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11546561.html


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