覚え書:「耕論:DNAと親子 神里彩子さん、水野紀子さん、瀬名秀明さん」、『朝日新聞』2015年03月25日(水)付。

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耕論:DNAと親子 神里彩子さん、水野紀子さん、瀬名秀明さん
2015年03月25日

 一人ひとりを形作る遺伝情報が詰まったDNA。それを受け継ぐから親子なのか。育てることで親になるのか。DNAにかかわる技術の進歩が加速する中、親子関係を考え直してみよう。

 ■法的な親、覚悟ある人が 神里彩子さん(東京大学特任准教授)

 英国で3人の親からDNAを受け継ぐ子の誕生を認める法案が承認されました。やはり英国で37年前に世界初の体外受精児が生まれて以来、生殖補助医療の進歩によって、様々な形で子どもが生まれるようになりました。精子卵子、あるいはその両方の提供を受けたり、代理母に出産を依頼したり。生殖補助医療は日本でも、今や当たり前になってきました。

 精子卵子を通してDNAを提供した人、それを依頼した人、産んだ人など、さまざまな人がかかわることもあり、そうなると生まれた子どもの親はいったいだれなのか。現行法制では、中ぶらりんになってしまうケースもあり得ます。

 親子関係を定めるのは民法ですが、民法が制定された明治時代、こうした事態は当然のことながら想定されていなかったからです。いま急ぐべきなのは、第三者が関与する生殖補助医療で生まれた子どもの親はだれか法的に明確にすることです。

 法務省の法制審議会が、「DNAのつながりはなくても産んだ女性が母親。夫で生殖補助医療に同意した人が父親」という試案をまとめたのはもう10年以上前です。私は妥当な内容だと思いますが、異論もあるためにたなざらしにされ、政治の動きも鈍い。その結果、誕生する子どもの法的地位が不明確なまま生殖補助医療が続く形になっています。

 新たな法整備を考える場合に大切なのは、DNAにこだわらない、ということです。親子関係を決めるときの基準として重要なのは、DNAを受け継いでいるかではなく、だれが親としてふさわしいか、だと思います。そんな考え方が国際的にも主流となっています。当たり前ですね、DNAは子育てをしてくれませんから。

 DNAは、ヒトの設計図であり、重い響きを持つ言葉です。自分のDNA、あるいは他人のDNA、といったこだわりもあるかもしれません。生殖補助医療では、DNAがかかわってくる場合がありますが、むしろDNAから離れ、生物学的なつながりとは別のところで、全く新しい親子関係を作り上げていく医療だと考えるべきでしょう。

 誕生に第三者が関与すると、生まれた子どもへの責任が分散される可能性もあります。子育てがうまくいかなかったり、何か困ることが起きたりした時に、その原因や責任を自分以外に求めかねません。親子関係とはもともと、互いに選び合ったのではなく、よくも悪くも逃げられない関係のはずですが、逃げ道ができてしまうのです。

 生殖補助医療の選択肢が増え、心理的なハードルも下がってきました。ただ、それは依頼という行為で始まる医療です。そうである以上、その医療で子どもを持つことへの覚悟が求められます。

 (聞き手・辻篤子)

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 かみさとあやこ 72年生まれ。法学博士。2014年から現職。専門は生命倫理政策で、出自を知る権利や出生前診断などを研究。編著書に「生殖補助医療 生命倫理と法」ほか。

 ■安易な鑑定、家族に脅威 水野紀子さん(東北大学教授)

 DNA鑑定で血縁が否定されても法律上の父子関係は維持される――。最高裁は昨年夏、こんな判断を初めて示しました。妻が夫と同居中に別の男性の子どもを出産したケースを巡る訴訟で、子どもと血縁上の父親との親子関係が否定されることになりました。私は妥当な判決だったと思います。

 生まれた子どもについて、分娩(ぶんべん)した女性の夫を父親と推定する。判決では民法の定めるこの「嫡出(ちゃくしゅつ)推定」の考え方が重視されました。日本の民法はヨーロッパ民法をモデルにしましたが、嫡出推定はローマ法にまでさかのぼる人類の発明品で、子どもを育てるために必要な要素だとされてきました。

 大切なことは、実子のうちに一定割合で血縁のない子が含まれることを織り込みずみという点です。法律上の親子関係と血縁上の親子関係が異なる事態を認め、その前提の下に、子どもの地位を安定させる制度として続いてきました。

 現代でも、西欧諸国は嫡出推定を維持しているし、こうした考え方が市民社会のルールとして根づいているので、血液型などから夫の子どもでないとわかっても、そもそも非常に限られた場合しか提訴できません。技術が飛躍的に進んでDNA鑑定が簡単にできる現在でも、それをもとにした訴訟などあまりありません。親子関係をひっくり返す主張をできにくくして、子どもを守っているわけです。

 一方、日本ではDNAを巡る訴訟が起きる。その背景として戸籍制度の要因もあります。今の制度のルーツは明治初めにさかのぼり、同じ建物にいる雇い人まですべて記載することから始まり、間違いがあればどんどん直す考えに立っていました。ここでの親子関係は血縁が基本とされ、血縁が異なることが明らかになった場合、いつでも訴えを起こして関係を覆すことができるのです。

 民法では「推定」で成立した親子関係を夫が訴訟で覆せるのは子どもの出生を知ってから1年以内とされました。両規定の間で揺れ動く不安定さが、明治以来の日本での親子関係を巡る制度の特徴だったといえます。

 そしていま、DNA鑑定が簡単にできる時代になりました。「自分の子ではないかもしれない症候群」も広がっています。気軽に鑑定を受ける人は今後もっと増えるかもしれません。

 冒頭の判決では「DNA検査の結果で子の将来を決めてしまうことにはためらいを覚える」として、DNA鑑定について、補足意見で警鐘を鳴らしました。フランスでは血縁を調べることを目的としたDNA鑑定は禁止されていますし、各国ともきわめて慎重です。鑑定は、場合によっては家庭を壊し、子どもを傷つけかねない。何らかの規制が必要だと考えています。

 (聞き手・辻篤子)

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 みずののりこ 55年生まれ。専門は民法家族法。98年から現職。2011年、法学部長に。旧帝大初の女性学部長となった。共著に「生殖医療と法」「比較家族法研究」ほか。

 ■「つながり」より、育て方 瀬名秀明さん(作家)

 DNAに書き込まれた遺伝情報が、人の性格や健康、もっと言えば運命まで決めるといわれます。小説家として描きたいのは、そこから先のはなしです。

 デビュー作の「パラサイト・イヴ」で、細胞内にあり、DNAを持つミトコンドリアが反乱を起こし、人間と戦うストーリーをつくりました。人間は自分の細胞核のDNAにだけ支配されているわけではないという発想は、今も面白いと思います。

 その後、DNAを巡る科学の進歩はめざましく、ゲノム、つまり全遺伝情報の読み取りも難しい技術ではなくなった。数万円も出せば自分のゲノムが分かる時代が、あと数年で訪れるでしょう。親子鑑定でも病気のリスク判定でも、気軽にDNAを活用できるようになります。

 そんな時代にSF作家として書きたいのは、DNA改変によって権力者に都合のよい倫理観をもつ人たちを作り出す社会の話です。あながちあり得ない話だと片付けてしまうことはできないと思いますね。

 DNAは奥が深い。とはいえ、それにとらわれすぎるのも問題だとは思います。

 たとえばDNAがまったく同じ双子でも、性格や健康状態が同じになるとは限らない。なぜかといえば、環境によって遺伝子の発現を促したり、止めたりする仕組みがあるからです。

 たしかにDNAは生命の基礎となるものですが、育て方によって全然違った人間性になる可能性があるわけです。DNAは親子のつながりとして大切ですが、育て方も同じぐらい、いや、それ以上に大切だということが研究から分かります。

 大体、自分の思い通りにいかない最大のものが親子関係じゃないかな。妹に娘が2人いて、ときどき一緒に遊びます。いつも自分流のやり方で物事をテキパキ進める妹が、育児では「どうして言うことを聞いてくれないの」と嘆くのを聞くと、人間同士が一緒に暮らすのは大変だと、つくづく思います。

 でも、めいっ子たちが少しずつ知能を発達させ、人間らしく育っていく姿を見ると、自分とは違うし、言う通りにもならないけど、なんだかいとしくなってくる。おもしろいですね。

 ここ数年、小説の中で僕はよく、シンパシーとエンパシーについて書いています。シンパシーは似た相手との共感。エンパシーはまったく違う相手の心情を忖度(そんたく)し、思いやろうとすることです。両方がうまく働いて初めて、人は人らしくなる。

 DNAがつながる相手だと、シンパシーで大抵のことは分かるという思い込みがあるかもしれません。でも、親子の間でも実はエンパシーが大切であることを見直してみてはどうでしょうか。DNAを受け継ぐ関係か否かに、かかわらずに。

 (聞き手・吉田貴文)

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 せなひであき 68年生まれ。東北大学大学院在学中に「パラサイト・イヴ」でデビュー。科学と人間とのかかわりをテーマにしたSF小説を発表する一方、コラムや対談も多数。
    −−「耕論:DNAと親子 神里彩子さん、水野紀子さん、瀬名秀明さん」、『朝日新聞』2015年03月25日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11667992.html





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