覚え書:「野坂昭如の『七転び八起き』 第200回『思考停止』70年 命の危機 敗戦から学べ」、『毎日新聞』2015年03月24日(火)付。

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野坂昭如の「七転び八起き」
第200回「思考停止」70年 命の危機 敗戦から学べ

(写真キャプション)「戦争は気づいた時にははじまっている」
 たとえ無責任、出まかせといわれようが、物書きの端くれとなって以後、お上のあやかしに取り込まれてはいけない。日本が現状のまま推移すれば駄目になる。やがては沈没してしまうなどと言い続けてきた。食い物しかり、原発しかり。これすべて勘によるもの。そして残念ながらこの勘はほぼ当たってしまった。もう一つ、日本は再び戦争に巻き込まれようとしている。昭和20年、戦争が終わった年、ぼくは14歳。あれから70年、ずっと敗け戦の日々である。70年前、一面の焼け野原だったあとに、たちまち屋根が並び、昭和30年にもなると、飢えの恐怖も遠ざかった。つれて日本は高度経済成長の波に乗り、これでめでたしめでたし。民主、平和、自由など各種の主義がデカイ顔をしてまかり通った。物質的豊かさの良いとこ取りを決めこんだ。ぼく自身、時代に身を合わせて生きのびてきた。だが一方で、言いようのないいらだちが失せない。違和感がある。これは世間に対してと自分についてのこと。すべて上っ調子で前進あるのみ。日本はあの戦争で立ち止まって考えることをしなかった。まさに着の身着のまま、食うや食わずの混乱の中で今日を精いっぱい生きのびるのがやっとのことだった。それにしても、やや落ちついたところで、あの戦争は何だったのか、振り返るゆとりはあったはず。お上の暴走、それを許した世間。仕方がなかったで片づけて、空襲は天災の一つの如く受け止めて、戦争を人ごとのようにみなす。戦中は「一億一心」「挙国一致」「忠君愛国」をスローガンに掲げ、戦後は「平和」さえ唱えていえればそれでよし、考えることをやめてしまった。どこかで抱く違和感はあっても、誰かがどうにかしてくれると考えておしまい。お上を筆頭に誰も矛盾に向き合わなかった。ぼくにしたってエラそうなことは言えない。結局は時代に身を合わせて生きてきた。
 14歳の夏、突然戦争が終わり、世の中が一転、何もかもすべてガラリと変わってしまった。もの心ついた頃は戦時下。お国のために命を捧げることがあたり前。成長盛りにロクな物を口にせず、授業も満足に受けられなかった。ぼくら昭和ヒトケタ世代はかなり特別な少年時代を過ごした。やがてウロウロするうちに経済大国、戦後はその繁栄の恩恵を十分に受けて、ギクシャクしながらも生きてきた。ぼくらの世代にも責任はある。70年前の今頃、大日本帝国は瀕死の状態だった。3月10日の東京大空襲で10万以上の命が失われ、それでもまだお上の暴走は続く。4月、ひたすら本土防衛のための沖縄線がはじまる。沖縄県民の命を盾として、いたずらに死者を増やし、約20万の命が棄てられた。この唯一の地上戦によって沖縄は本土の捨て石とされた。今なお、それは続く。5月24、25日東京空襲、山の手が焦土と化した。6月5日神戸に空襲、これによってぼくの家族、言えも焼失。人生が大きくかわった。70年前、昭和20年の今頃に生きていた大人達は何を考えていたのだろうか。子供だったぼくの目にうつる身近な大人は、上辺平静だったように思う。列島は空襲の嵐、戦争が迫っていた。お上の制度は猫の目の如く変転、代わりないのは強気な大本営発表だけ。普通に考えれば日本の敗け、と見当つくはずだが、大人達に焦燥の色も諦めた感じもうかがえなかった。今の日本がどんな状態なのか、ぼくにはよく判らない。ただぼくなりに冷え冷えと眺めている。この歳では眺めるしかない。あの命の危機を目前にしていた時代とはまるで違う。だが今日あるが如く明日もあるとみなして、具体的に破滅を回避する手段を講じない。今も昔も同じ。大人達は思考停止じゃないのか。
 飢えに苦しんだ経験をあっさり忘れ、食い物は他国にまかせ、その食い物の大半を廃棄し続けている。危なっかしい原発、安心、安価、クリーンは嘘だった。ツケは子孫にまわす。年金、健康保険もそう長くないだろう。
 日本には金があるという。債権国だといったところでドルという紙切れ。1000兆を超えた国公債の利子払いもある。これを免れるには極端なインフレしかない。モノ不足の再来は遠くないだろう。現状維持を最優先、後はすべて先送り。危機感を持たず、リスクを避けてきた日本。敗戦から何を学んだか。震災、原発事故から何を学ぶのか。戦後70年、平和は奇跡的に続いた。安倍首相悲願の憲法改正は日本を破滅に追いやるだろう。戦争というものは気づいた時にははじまっている。今、戦後が圧殺されようとしている。(企画・構成/信原彰夫)
    −−「野坂昭如の『七転び八起き』 第200回『思考停止』70年 命の危機 敗戦から学べ」、『毎日新聞』2015年03月24日(火)付。

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