吉野作造研究:吉野作造と袁世凱
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ここまであえて避けてきたこと、袁世凱の人物を少し述べてしめくくりたい。評伝なのだから、それを真っ先につかまえたうえで、構成を組み立てるのが、むしろ正攻法なのだろう。しかし、ふつつかな歴史家には、とても無理な芸当、知りうる事蹟の客観的な復原に全力をあげざるをえなかった。そこから帰納できることを補うほかない。
証言はいろいろある。梁啓超は袁世凱とともにいると、美酒を飲むようだった、と称賛したらしいし、袁世凱の物腰や気配りを目の当たりにして感激する例は、文官の曹汝霖はじめ、ほかにも少なくない。社交は巧みだったようである。
かたや、あまり褒めていないのが、吉野作造。かれは一九〇六年より三年間、袁世凱の息子の家庭教師だった。袁世凱本人と会ったときのことも書き残している。
話し振りの如何にも打ち解けた、且愛嬌滴るばかりの容貌にて親切なる言葉を向けらるゝので、特に手を握るにも如何にも親情を込めたるらしき念入りの堅い握り様で、予は慕はしいやうの感情を持つて別れた。……今から回想すればツマリ首尾能く翻弄されたのだが、併し応対振りの巧妙を極むることは感服に堪らない。
吉野も感激した例に含まれるのだが、事後にその虚偽を喝破したのである。虚偽というと、適切な表現ではないかもしれない。むしろ眼前のとりくむべきものに、全力最善の対処をした、とみるべきで、つまりは実直なのである。酒もアヘンも嗜まなかった、という。
以上はごく卑近な社交や人間関係のたぐいにすぎない。けれどもそれは、かれの公的生涯でも、同じことがいえそうである。
袁世凱は目前の課題には、全力でとりくんだ。朝鮮問題・小站練兵・戊戌政変・天津復興・北洋軍建設・清帝退位・中央集権、いずれもしかりである。それぞれに最善の答えを出そうとすた。しかし、出た結果の総計は、どうであったか。
−−岡本隆司『袁世凱 現代中国の出発』岩波新書、2015年、211ー213頁。
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