覚え書:「松尾貴史のちょっと違和感 『粛々と進めるだけ』 『問答無用』と権力を使う不快さ」、『毎日新聞』2015年04月12日(日)付(日曜版・日曜くらぶ)。

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松尾貴史のちょっと違和感
「粛々と進めるだけ」
「問答無用」と権力を使う不快さ

 沖縄県の翁長雄志知事が再三再四、いやもっと呼びかけていただろうか、とにかくなかなか実現させなかった会談にやっとの事で菅義偉官房長官が応えたようだ。しかし、やはり多くの人々が想像していた通り、木で鼻を括ったような対応だった。大きく注目されたのが、「粛々と進めるだけ」という言い方だった。この一言に、翁長知事だけでなく、たくさんの人が不快に感じたようだ。そして、この時期にようやく会ったのも、統一地方選挙を意識してのことだろうと、私は勝手に解釈しているが。
 本来の「粛々と」の意味は、「厳かに」「静かに」といったような意味だろう。しかし、政治家や高級官僚などが便利に使っているこの言葉は、「誠に遺憾」と同様に、元々のニュアンスとは違ったものになっているような気がする。権力者が、「お前たちがいくら騒いでもこちらは平気の平左、圧倒的に強い権限があるのだから、騒がずに力を行使するのみだ、黙って見ていろ」という意味で使う時に散見される、不快感の強い言葉になってしまった。
 ところが、使っている側はそのことに麻痺してしまって、「不快感を与えたのなら使わないようにする」という、これまた気色の悪い対応だ。どんな言葉を選ぼうとも、表情、行動で本心はばれてしまう。まあ、そんな受け手に与える印象など気にする必要がないくらいの力を彼らに与えてしまったのは国民なので、お互い様ではあるのだが、少なくとも沖縄県民は彼らに力を与えたつもりがなくとも、「問答無用、国に従え」とねじ伏せにかかっているのだから始末が悪い。
 信州大学の学長が、入学式で「スマホやめますか? 信大生やめますか?」と語ったとか。40代ぐらいの人なら覚えている人も多いだろうが、これは日本民間放送連盟覚醒剤使用をやめるように呼びかけた公共広告「覚せい剤追放キャンペーン」のキャッチコピー「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」をもじってパロディーにしたものだ。
 1980年代に放送されていたもののもじりを、90年代後半に生まれた1年生に向かって放つのはセンスがなかなかのものだと思うが、それほど教育者としてスマートフォンの蔓延を苦々しく見ておられるのだろう。確かに、街中や電車の車内で、いい大人が背中を丸めて小さな端末の画面を凝視している様は全くもって美しくないし、歩きながらのスマートフォンいじりは危険極まりない。そして、教育者として懸念しておられるのは「そんなものをいじっている暇があれば書物をひもときなさい」という事なのではないだろうか。確かに、読書量は減っているのだろうと思うし、スマートフォンの普及がそれに拍車をかけているのだろうとも思われる。ただ、電子書籍での読書や、それ以外のリサーチにはとてつもなく効果を発揮することも事実で、やはり肝要なのは「どう使うか」「何をするか」ではないだろうか。
 学校でハラスメントやいじめにつながるからとLINEの禁止を決めた学校もあると聞くが、これは現場の事なかれ主義だろう。新しいツールが出てきて流行し、便利ならば定着してしまうのは仕方がないことで、必要なのはそれをどう使うかを教育していくことだ。怪我をするからと刃物を取り上げるのではなく、怪我をしないように、させないように、それをどう使うのかを教えなければ教育の放棄ではないか、とも思うのだ。
 刃物も、デジタル機器も、そして権力も、「何に、どう使うか」ということに尽きるのではないか。(放送タレント、イラストも)
    −−「松尾貴史のちょっと違和感 『粛々と進めるだけ』 『問答無用』と権力を使う不快さ」、『毎日新聞』2015年04月12日(日)付(日曜版・日曜くらぶ)。

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