覚え書:「こちら特報部:歴史修正主義の教科書検定 政権の意向 侵食 広がる自主規制」『東京新聞』2015年04月16日(木)付。


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こちら特報部

歴史修正主義教科書検定

政権の意向 侵食

広がる自主規制



関東大震災朝鮮人虐殺 「殺害は数千人」→「数に通説ない」

アイヌ差別の旧土人法 土地「取り上げ」→「あたえ」

沖縄戦住民虐殺 スパイ扱い「殺害」→「処罰」



(写真キャプション)清水書院の教科書についての検定審の修正表。関東大震災時の朝鮮人虐殺の犠牲者数に「意見」がついた

(写真キャプション)関東大震災の直後、虐殺された朝鮮人の痛い発掘作業=1982年9月、東京都墨田区

(写真キャプション)1875年の千島・樺太交換条約で、現在の北海道江別市強制移住させられた樺太アイヌの人びと

(写真キャプション)沖縄の集団自決に対する旧日本軍の関与を認めた「大江健三郎岩波書店沖縄訴訟」の控訴審判決=2008年10月、大阪高裁前で



 「謙虚さ」や「自らに厳しい」ことを美徳と教えられてきた世代にとり、この国の教科書は反面教師に映りつつある。二〇一六年度から使われる中学生の教科書の検定結果が六日、公表された。「これまで光と影のうち、影の部分が多かった」という下村博文文部科学相の意向に従い、歴史の一部の記述は修正主義ともいえる内容になった。自国を自画自賛する「ヘイト本」が脳裏をよぎる。(篠ケ瀬祐司、沢田千秋)



 焦点の一つは、関東大震災(一九二三年)直後の朝鮮人虐殺事件の記述だ。

 教科用図書検定調査審議会検定審)は、二つの出版社の教科書に「検定意見」をつけた。その後、二社は記載内容を変更した。

 一つは清水書院(東京)の教科書。原文は「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」としていた。

 検定審は、この犠牲者数に「通説的な見解がないことが明示されていない」として、注文を付けた。

 結局、同社は「当時の司法省は二百三十名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない」と「修正」した。

 もう一つは「学び舎」(東京)の教科書。「軍隊・警察や、住民がつくった自警団によって数千人の朝鮮人が虐殺された」とし、欄外に犠牲者数を「約二百三十人(当時の政府調査)や、約二千六百十人(日本にいた朝鮮人たちによる調査)などがあるが、虐殺された人数はさだまっていない」と記した。

 これでも「意見」がつけられ、「数千人」は「おびただしい数」になった。

 専修大学の田中正敬教授(朝鮮近代史)は「『数千人』は近年の研究における数字だ。司法省発表の犠牲者数約二百三十人は自警団による事件のみ。軍隊や警察による殺害は抜けており、小さすぎる」と解説する。

 根拠の一つは、上海にあった大韓民国臨時政府の機関誌「独立新聞」(二三年十二月五日付)に載った調査報告。被害者数は六千六百六十一人としている。

 これを立教大の山田昭次名誉教授(日本近現代史)は、著書『関東大震災時の朝鮮人虐殺』で、「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」の調査と判断。山田氏の再計算では、犠牲者数は六千六百四十四人だった。

 田中教授は「何をもって通説かを示していない。通説か否かは国家機関が判断すべきでもない。一人でも虐殺されていれば、虐殺になる。政府が犠牲者数を調査、公表してこなかったことこそ問題だ」と話す。

 朝鮮人虐殺を検証した『九月、東京の路上で』の著者、加藤直樹うじは中央防災会議の『一九二三関東大震災第二編』に「官憲、被災者や周辺住民による(朝鮮人らへの)殺傷行為」の犠牲者数が「震災による死者数の一〜数%」とされている点を指摘。震災の死者の総数が約十万人だとすれば、数千人になる。

 加藤氏は「数千人と司法省発表の約二百二十人のどちらの妥当性が高いかは明らかだ。それでも『通説はない』と加えようとするのは、被害者数を過小評価する意図を感じる」と語る。

 

 同様にアイヌ民族の歴史についても、当時の政府による差別政策を正当化するような表現が出てきた。

 一八九九年に制定され、一九九七年に廃止されたアイヌ民族を対象にした北海道旧土人保護法について、日本文教出版(東京、大阪)の教科書は当初、「狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げ、農業を営むようにすすめました」と記していた。

 だが、検定意見を受けて「狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました」と肯定的な書きぶりに変更した。

 北海道大アイヌ・先住民研究センターの丹菊逸治准教授は「極めておかしな記述だ。アイヌには狩猟・採集で『イオル』(猟場)を中心とする伝統的な土地の利用方法があった。政府はそれを無視して土地を取り上げ、まずは和人に分配して、残った農耕に不適な土地をアイヌに分配した。これまで研究されてきた旧土人保護法の評価を間違えている」と指摘する。

 「アイヌの中学生は、先祖代々語り継がれてきた歴史を知っている。かたや東京の中学生は教科書が唯一の情報源。正しい事実が共有されていなければ、両者が出合ったとき、民族問題が生じかねない。教科書は歴史認識の土台だ。記述はファンタジーではない事実に基づかねばならない」

 検定以前に「自主規制」としか思えない記述も増えている。例えば、太平洋戦争末期の沖縄戦をめぐる史実の記述がそれだ。

 地元住民をスパイとみなした旧日本軍の虐殺事件について、四五年に発生した「久米島守備隊事件」などで知られている。日本文教出版の教科書が「スパイと疑われて殺害された人もありました」と記す一方、教育出版(東京)は今回「琉球方言を使用した住民は、スパイとみなされ処罰されることもありました」と記載した。

 琉球大名誉教授の高嶋伸欣氏(社会科教育)は「初めて見る記述」と驚きを隠さない。「当時、お年寄りは標準語が話せず、琉球方言しか使えなかった。スパイ扱い自体、納得できないのに、殺害されたことを『処罰』と書かれることには大変な抵抗がある。処罰とは、される側に相当な責任があっての罰。生徒が『仕方がないのかな』と解釈しかねない。日本軍の責任を薄めようとする表現だ」

 さらに米軍の上陸後、沖縄の住民が豪やガマと呼ばれる洞窟で強いられた集団自決をめぐっても、出版社の対応は分かれた。

 六社の教科書は「日本軍によって集団自決においこまれた」などと、軍の関与を明記した。だが、自由社(東京)は全く触れず、育鵬社(東京)は米軍の攻撃を受けて「戦闘がはげしくなる中で逃げ場を失い、集団自決に追い込まれた人々もいました」と、日本軍の関与には触れなかった。

 集団自決をめぐっては、作家の大江健三郎氏の著作『沖縄ノート』などをめぐり、当時の日本軍の指揮官とその遺族が二〇〇五年、日本軍が自決を命じたとする記述で名誉を傷つけられたとして、大江氏や出版元の岩波書店を提訴。

 一審の大阪地裁は「大江氏が隊長による集団自決命令を事実と信じることには相当な理由があった」として原告の訴えを棄却。二審も「総体として、日本軍の強制ないし命令と評価する見識もあり得る」と一審判決を支持し、一一年に最高裁も上告を棄却している。

 高嶋氏は「旧日本軍の関与を避けるのは、教科書の執筆者や出版社に政権の顔色を必要以上にうかがっているからだろう。安倍首相らの歴史修正主義が、じわじわと教育を染め上げようとしている。しかし、沖縄の人たちは決して納得しない」と語気を強めた。



教科書検定〕出版社がつくる小中高校の教科書を、文部科学省が発行前に審査する制度。合格しなければ教科書と認められない。戦前は国定教科書だったが、1948年度から現在の方式が導入された。文科省職員の教科書調査官が、学習指導要領と検定基準に照らして内容を審査して「調査意見書」を作成。それを基に大学教授らでつくる教科用図書検定調査審議会が審査する仕組みになっている。



〔デスクメモ〕教科書会社に勤める知人はこう話す。「いまは各社の幹部らが検定以前に保守系議員に呼び出され、注文を拝聴することも多い。昔は内容を曲げられないという気概が強かった。最近は採用に結びつけたいという空気が勝る」。その結果、こうなった。どこもかしこも自主規制。つくづく嫌な世の中になった。(牧)
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