日記:白虹事件と現在の朝日バッシング 吉野作造の抵抗から見えてくるもの

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白虹事件と朝日の「転向」

 朝日バッシングの高まりと広まりは、大方の予想を超えるものがあった。ネットなどでは匿名の集団バッシングが起こり、大衆の鬱憤を晴らしているかのようでもあった。

 今回の事件を通して思い込されるのは、一九一八年8月に起きた「白虹(はっこう)事件」である。朝日が権力による報道弾圧に遭遇した事件だ。

 一九一八年七月から8月にかけて、米価の暴騰を機に、生活難に苦しんでいた人々が米屋や富豪などを襲う事件が起きた。世にいう米騒動である。富山県の主婦の間から起きた騒動は全国的に広がり、その報道を禁止した寺内正毅政権に新聞界は強く反対した。折からのロシア革命への干渉を狙って、シベリア出兵に数万の日本軍を派遣した政府の動きにも反発が強まっていた。

 八月二五日、大阪での関西新聞社通信社大会は事実上、内閣糾弾大会となった。それを報じた大阪朝日の夕刊記事に「白虹日を貫けり」とあったのが、内務省から目をつけられた。この言葉は、中国の故事で「内乱の兆し」を意味し、そのことが新聞紙法違反であるとして告発された。

 寺内政権は、朝日の発行禁止を狙ったが思うにまかせず、新聞発行人と記事を書いた記者が執行猶予つきの軽い判決を受けるにとどまった。しかし結局のところ、朝日側では一〇月、村山龍平社長が辞任し、編集局長の鳥居素川や長谷川如是閑、大山郁夫ら有力幹部も代謝。一二月には、「不偏不党」など、穏やかな四原則を掲げた編集綱領を発表することで、事態を収束させた。新編集局長が反省の意向を表明させられており、明らかに一種の「転向」といえる。

 この時も「国賊朝日を葬ろう」といった右翼主導の朝日バッシングが起き、右翼団体によって村山社長が中之島公園の電柱に縛りつけられる一幕もあった。村山社長は新聞社解散まで考えたと、朝日の社史には記録されている。



言論を圧迫する時代の共通点

 この白虹事件の朝日バッシングにおいて、大正デモクラシーの先頭に立っていた民本主義者の吉野作造東京帝国大学教授(当時)は、「言論自由の社会的圧迫を排す」と題した論文を『中央公論』(一九一八年一一月号)に寄稿している。

 現代のネット時代に横行している、匿名による集団的な言論への圧力に対する批判に通じる内容として、先駆的な論考である。吉野は「言論の自由を圧迫するものに国家的なるものと、社会的なるものとの二種類がある。而して世人多くは……民間の頑迷なる階級より来る後種のものを看過するのは予輩の常に遺憾とする所であった。……近時我国言論界の暗礁とも目すべき国体擁護のは旗印の下に、第二種の言論圧迫が初まりつつあるのを観て、……反対を絶叫せざるを得ざる」と述べている。

 社会的圧迫の中に国体擁護が掲げられた新しい動きがあることに注目し、やがて来る昭和時代の国体明徴運動(憲法学者美濃部達吉の唱えた天皇機関説を一九三五年、軍部や右翼などが攻撃し、議会決議や政府姓名などが出された)を予測したことは、先見の明と言うべきだろう。同時に、大正デモクラシーが衰退して国家主義・国体護持の勢いを強めていったことは、今まさに、安倍政権下で民主主義を否定し、国家主義を志向する思潮が目立ってきていることと似ている。

 そのことはまた、第一次世界大戦後のドイツが、平和と民主主義を基調とするワイマール憲法体制から、一九三三年、ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)による独裁へ推移した歴史を思い出さざるを得ない。ナチスは、三二年七月の総選挙で三七%の得票率で第一党になり、翌年1月に大統領指名によってヒトラー首相が出現した。

 さらに、その年の二月に起きた国会放火事件で共産党員を大量に逮捕。三月の総選挙で四三・九%を獲得した後は、少数右翼政党を与党化し、過半数からさらに三分の二を制して全権委任法を可決させ、合法的に独裁体制を完成した。以後、野党をすべて解散して、ヒトラー総統による独裁ファッショ体制を実現させ、ユダヤ人を六〇〇万人も虐殺したホロコーストへ、そして第二次世界大戦へと進んでいった。ナチス独裁は、議会主義の手続きを経た平穏な道で実現された。



ヘイトスピーチと法的規制

 私自身が、治安維持法普通選挙の同時実現という両者の接点である一九二五年三月に生まれただけに、時代思想の転換期の流れとせめぎ合いについて、深く考えさせられる。白虹事件が起きた当時、民主主義論者にとって、右翼の「浪人会」の演説会が社会的言論圧迫を行う主体だったようである。匿名に隠れた運動ではない点が、現代の匿名による集団的言論圧迫運動とは違う。しかし、いま右翼ナショナリストは、ネットの活動に収まらず、街頭で大衆運動的なデモンストレーションを繰り広げている。

 「言論には言論で対抗すべき」というのが自由な言論の基本原則である。一つの言論に異を唱える大衆が集団的な言論活動を展開するのは、非難されるべきことではない。問題は、集団的圧迫の形態と言論の内容であろう。吉野作造も先の論文の中で次のように述べている。

 「此東京市中に於ても所謂浪人会の朝日新聞攻撃の演説会が開かれて居る。試に之を傍聴するに、言辞甚だ不穏を極め、極端なる暴力的制裁の続行を暗示するにあらずやと思はるる節もあつた。傍聴者中此等攻撃の動機に就き忌はしき風聞を耳語する者あつたけれども、予輩は弁士中教養ある知名の紳士が之に加わつて居る事から推して之を信じない」

 言論の自由は規制されてはならないが、暴力的な言論は認められないということになろう。しかし、その限界線を引くことは容易ではない。「在特会」(在日特権を許さない市民の会)などによる在日コリアンに対する激しい非難・ヘイトスピーチに対して、これを取り締まる法規をつくることに日本でも反対が強いのは、このためである。

 二〇一四年、京都地裁朝鮮人学校に対する在特会の脅迫的な言動に有罪判決を下し、司法ができることを積極的に示した(その後、大阪高裁もこれを支持)。しかし、さらに法規制が不可欠かどうか、論議の必要があるように思う。何をもって排除すべき暴力的言論といえるか、その境界線を引くのは困難である。
    −−原寿雄『安倍政権とジャーナリズムの覚悟』岩波ブックレット、2015年、52ー56頁。

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