覚え書:「今週の本棚:小島ゆかり・評 『鬼酣房先生かく語りき』=品田悦一・編」、『毎日新聞』2015年09月13日(日)付。

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今週の本棚:小島ゆかり・評 『鬼酣房先生かく語りき』=品田悦一・編
毎日新聞 2015年09月13日 東京朝刊
 
 ◆『鬼酣房(きかんぼう)先生かく語りき』

 (青磁社・1620円)

 ◇多様な大人の笑いに満ちた一冊

 『ツァラトゥストラかく語りき』(ニーチェ)ならぬ、『鬼酣房先生かく語りき』。鬼の酣(たけなわ)の房なる鬼酣房先生とは果たして何者なのか。そう思わせるところから編者の企ては始まる。本書の編集を任された経緯をまことしやかに語り、ただいま失踪中の先生と自分とは断じて同一人物ではないと、わざわざ記しているあたりが、断然アヤシイのである。

 鬼酣房先生は一九五八年に、群馬県沼沢(ぬまざわ)市という聞いたことのない市に生まれ、県立厩橋(まやばし)高校というなんだか臭いそうな高校を経て、帝都大学文学部に勤務、のち同大学教養学部へ移籍した、とある。帝都大学といえば東野圭吾の人気シリーズ、ガリレオ先生(湯川学)の勤める大学ではないか。じつにふざけているが、編者の経歴のパロディーであることが容易にわかる仕掛け。さらに、「日本の古典と近代詩歌を専攻する国文学者だが、その学説はあまりに独創的かつ破天荒であって、論述は緻密かと思えば豪快、大胆かと思えば些末(さまつ)、地を這(は)うごとき調査結果が延々開陳されたすえ、だしぬけに一大飛躍が敢行される」(「はじめに」)、その学者像は、わたしの知る編者そのものだ。

 『万葉集の発明−国民国家と文化装置としての古典』(新曜社)『斎藤茂吉−あかあかと一本の道とほりたり』(ミネルヴァ書房)など、緻密にして豪快、まるで推理小説のように独創的な研究書の著者である。そして、奇妙奇天烈(きてれつ)なアイデアによる本書もまた、おもしろい。中味は、校友会誌や大学広報誌に書かれた随筆をまとめた一冊である。

 たとえば、「屋は」という痛快な小文。

 建造物をいう語で「−屋」というのにはどんなのがあったかと思って、用例を検索したら、ありました、ありました。(中略)清少納言は、粗末でないと「屋」らしくないと思っていたようです。そういえば「あばら屋」なんて語もありますね。(中略)なんの話かですって? 危険極まる施設を外界から遮蔽(しゃへい)すべき、すなわち無類の堅牢(けんろう)さを誇るべき建造物を、「建屋」なぞと平気で呼んできた人々の言語感覚が、したがってまた物事の処理能力全般が、私にはまったく信頼できない、ということです。

 そういえば「建屋」というあの不思議な言葉……。鬼酣房先生、さすがに言葉への反応が敏感で鋭い。ほかのことは言わず、たったこれだけであるところが、清々(すがすが)しい。

 一方、「四十雀(しじゅうから)の三四郎」という情感ゆたかな一篇もある。

 二月の駒庭キャンパスは閑散として人影も疎(まば)らですが、小鳥たちにとっては恋の舞台です。あちらからもこちらからも、ツツピ、ツツピ……と異性を呼ぶ四十雀のさえずりが聞こえてきます。(中略)四周めでしたか、ふと雄の姿が見えなくなりました。諦めて去ったのかと思っていると、さっきのとは別の赤い実をくわえて戻って来ました。プレゼントを新品に換えてきたのでしょう。なんという健気(けなげ)さ。私はこの雄を「三四郎」と名づけました。

 四十雀三四郎の恋はこののち急展開して、あっと驚くうちに文章は終わる。そして、この経緯に対する姪(めい)との見解の相違(「見解の不一致」)、子息の予想外の反応(「再挑戦」)と随筆はリレーされ、「形容動詞『昭和だ』の語義」へと話は及ぶのである。

 多様な大人の笑いに満ちた一冊。
    −−「今週の本棚:小島ゆかり・評 『鬼酣房先生かく語りき』=品田悦一・編」、『毎日新聞』2015年09月13日(日)付。

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