覚え書:「書評:私の消滅 中村文則 著」、『東京新聞』2016年07月24日(日)付。

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私の消滅 中村文則 著

2016年7月24日
 
◆記憶や脳は誰のもの
[評者]横尾和博=文芸評論家
 著者特有の鋭敏な感性に溢(あふ)れた小説である。読後、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を思い出した。「私とは誰か」は哲学や文学の長年の命題であり、これからも続く問いだ。物語は複雑な構成のミステリー仕立てで読者を引きずり込んでいく。しかし話はシンプルで、心療内科医の男が患者の女性に惹(ひ)かれた恋愛譚(たん)。女性は暴力的な体験から心を病み、自傷行為にも走ったことがある。その女性をめぐる周囲の人間たちの悪意やエゴが、複雑怪奇な展開をよぶ。
 キーワードは洗脳、そして記憶の消去と書き換えである。詳述は避けるが、潜在意識に働きかける「パブロフの犬」「サブリミナル効果」という言葉も登場する。著者の長年のテーマである「悪」もしっかりと埋め込まれ、人間とは何か、を考えさせられる。
 私たちは確固たる「私」の存在を疑うことなく、他者や世界との関係性ばかりを論じてきた。しかしその「私」の記憶や脳が果たして自身のものか、他者の記憶を埋められているのではないか、その真贋(しんがん)を確かめる術(すべ)はあるのか、など揺らぎが次々と湧いてくる。
 著者は思考力を奪うインターネットが世に溢れ、人工知能が未来を席捲(せっけん)するかに見える状況下で、これまで切り開いてきた哲学的思考をさらに一歩進めた。そのチャレンジ精神に脱帽である。
 (文芸春秋・1404円)
 <なかむら・ふみのり> 1977年生まれ。作家。著書『掏摸(スリ)』『教団X』など。
    −−「書評:私の消滅 中村文則 著」、『東京新聞』2016年07月24日(日)付。

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