日記:経歴だけエリートというのを引っ張ってくると、政治的立場の如何をとわず、結局は叡智とはほど遠い、国民国家の重力に囚われた人間だらけというシンプルな話
米山なんとか「私は従軍慰安婦が日本政府の強制において行われたと言う説を信じていません。」 https://t.co/rgNYElBXHI
— ベランダハム (@Verandaham) 2016年10月17日
「個人的な見解ですが、私は従軍慰安婦が日本政府の強制において行われたと言う説を信じていません」。これは悲惨過ぎる認識ですね。政治家として活躍するなかで、是非、事実に即して認識を改めてもらいたい。https://t.co/urcBBIphbG
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2016年10月17日
全くですね。
— イシカワ(いきている) (@ishikawakz) 2016年10月17日
従軍慰安婦問題については、被害者の証言、加害した軍関係者の証言や、当時の政府の書類などについて歴史学的に研究の蓄積があり、軍が性的な搾取暴力システムに関わっていることを疑うのはまず困難ですから、米山氏は理解すべきだと思います。 https://t.co/NeRcdygwH0
神学から、吉野作造という卓越したクリスチャンデモクラットの軌跡を辿ると、過ちを認め反省することができるかどうかが現実と理想を引き寄せるキーポイントかと。吉野も様々なミスを犯しますが必ず反省し、軌道修正を行い続けました。ここですね。https://t.co/ykCu9rpnSI
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2016年10月17日
人間は動物の一種だが、最も過ち易い生き物だろう。過ちを犯した時、判断を誤った時、そのことに気づいた「後」どうするのか。政治学は人間が「過ちやすい生き物」と捉えた上で未来を展望する学問とよく聞く。居直りを決め込むのか、反省(軌道修正)して、未来を拓くのか。一人の人間の人生も同じだ。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2016年10月17日
経歴だけエリートというのを引っ張ってくると、政治的立場の如何をとわず、結局は叡智とはほど遠い、国民国家の重力に囚われた人間だらけというシンプルな話ということか。ここがエリートと真のアカデミズムとの違いか。学問従事者は革命的警戒心を持ち警世の預言者的眼を持ち続けなければならない。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2016年10月17日
米山隆一の10年先のために - Dear Representative Mike Honda -従軍慰安婦問題について−