覚え書:「耕論 教育勅語の本質 三谷太一郎さん、先崎彰容さん」、『朝日新聞』2017年04月19日(水)付。

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耕論 教育勅語の本質 三谷太一郎さん、先崎彰容さん
2017年4月19日

 明治天皇が、国民に守るべき徳目を示した教育勅語。戦後、国会が葬り去った教育勅語を、安倍内閣は、憲法教育基本法に反しない形で教材に使うことを認める閣議決定をした。教育勅語の本質やその教材化がいま議論されるのはなぜか。戦前と戦後生まれの研究者に聞く。

【特集】教育勅語
 

 ■良心の自由、否定する命令 三谷太一郎さん(東京大学名誉教授)

 教育勅語と言えば、国民学校(小学校)低学年のころの天長節天皇誕生日)や紀元節建国記念の日)を思い出します。校長先生が紫のふくさに包まれた勅語の謄本をうやうやしく手に取り、読み上げました。子供たちは直立不動の姿勢で頭を垂れます。私はいつの間にか覚えてしまい、毎朝、家で声を張り上げていました。

 安倍内閣は、教育勅語憲法教育基本法に反しない形で教材として使うことを認める答弁書閣議決定しました。さらに文部科学大臣は道徳の教材に使うことを否定せず、副大臣は、朝礼での朗読も教育基本法に反しない限り問題ない、と言っています。

 戦中の教育の風景が再現される可能性が出てきたようで、大変驚いています。戦後70年が、まるでなかったかのような気がします。

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 私は、戦前の天皇制の一側面として教育勅語の制定過程について大学で講義しました。歴史教材として取り上げるのは当然です。しかし、道徳の教材となると、憲法教育基本法に抵触する疑義がある。これを容認する閣議決定は、少なくとも妥当とはいえません。

 勅語に挙げられた個々の徳目の是非が論じられていますが、本質的な問題ではない。教育勅語の本質は、天皇が国民に対して守るべき道徳上の命令を下したところにあります。そうした勅語のあり方全体が、日本国憲法第19条の「思想及び良心の自由」に反します。

 明治の指導者たちは、国民形成のためには、天皇の存在を国民の内心に根付かせることが必要だと考え、教育勅語にその役割を求めたのです。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という部分があります。戦争のような国家の危機において、国民は憲法の兵役の義務などに従い、国家のために一身の犠牲をかえりみないということです。現行憲法に兵役義務はないが、それ以上に思想及び良心の自由に基づき、場合によっては国家の命令に従わない、市民的不服従の権利もあり得ます。教育勅語ではそのような自由は否定され、良心的兵役拒否などあり得ません。

 大日本帝国憲法のもとで国家主権は天皇にあるが、統治権行使は「憲法ノ条規ニ依(よ)リ之(これ)ヲ行フ」(第4条)と規定され、天皇は一面では憲法に基づいて統治する立憲君主でした。そして同憲法では、限定的ながら国民の信教や言論の自由が認められていました。このため憲法勅語の起草に深く関わった法制局長官、井上毅(こわし)は、立憲君主である天皇が、国民に道徳上の命令を出す、つまり井上自身の言葉によれば、「臣民の良心の自由」に介入することを法的に整合性がとれた形でどう説明するか、頭を悩ませました。

 井上の結論は、教育勅語は命令ではなく、社会に向けて公表される天皇の「著作」でした。そうした「著作」に臣民が自発的に共鳴する、というのが井上の法理論的整理であり、「苦慮の奇策」ともいうべきフィクションでした。

 日本国憲法第19条は、思想及び良心の自由を明確に規定しています。安倍内閣は、それを全く念頭に置かず、教材として使えるという閣議決定をしました。せめて明治の時代の井上法制局長官の問題意識を共有すべきだと思います。

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 最近、気になるのは、小中学校で道徳が正式な教科となることです。児童、生徒といえども、多様な道徳的価値観を教師が評価することは本来できない。それができるのは、神しかいません。

 私は戦争中、国民学校2年生のとき、休み時間終了の合図に気づかずに遊び続け、天皇、皇后の「ご真影」や教育勅語の謄本を納めた奉安殿への直立不動の姿勢を怠り、教師から激しい体罰を受けました。当時の道徳にあたる「修身」は最重要科目でしたが、この「不敬」で成績が悪く、戦時下のあるべき「少国民」として失格の烙印(らくいん)を押されたようで、心が大変傷つきました。

 (聞き手・桜井泉)

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 みたにたいちろう 36年生まれ。専門は日本政治外交史。文化勲章を受章。宮内庁参与を務めた。近著に「日本の近代とは何であったか―問題史的考察」。

 

 ■不安の時代、画一化の兆し 先崎彰容さん(日本大学教授)

 教育勅語というと、戦前の「忠君愛国」の源泉だと言われがちですが、つくられた当時の経緯は、複雑でした。

 教育勅語作成のきっかけは、明治23年(1890年)に地方長官会議が「徳育涵養(かんよう)」の建議をしたことです。若者たちが政治的な熱狂で騒ぐのは道徳的によろしくないと提言した。その背景にあったのは、社会から道徳や倫理が失われているという不安感でした。

 教育勅語の作成を命じられた法制局長官の井上毅は「立憲体制を守る」「国民の内面の自由を確保する」という二つを重視していました。彼は、明治憲法の制定にも深く関わっていただけに、教育勅語憲法に反しないものにしようと心を砕いていたのです。

 彼には仮想敵が2人いました。1人は、文部大臣から命じられて最初の原案をつくった中村正直。クリスチャンで、彼の原案は宗教的な色合いが強かった。もう1人は枢密顧問官だった儒学者元田永孚(ながざね)で、儒教的なものを教育勅語に盛り込もうとしました。井上は、勅語が人々の心の自由を奪わないよう、針の穴を通すような努力をして、慎重に文章をつくりあげようとしたのです。

 その教育勅語がもたらした最大の影響は、内容そのものより、暗唱を通じて国民を「画一化」した点にあると思います。漢語調の言葉を暗唱できなければ、即問題であり、悪だという風潮になることです。井上の当初の思惑を超えて、元田とのせめぎ合いで儒教的なものが入り、それが国体論者に利用されました。

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 では、こうした戦前の教育勅語をめぐる経緯が、現代に与える示唆とは何でしょうか。

 それは、どちらの時代も、確かな価値観や倫理規範がなくなった「底が抜けた時代」ということです。明治維新で従来の価値観を一気に壊してから20年たっても、社会は安定しなかった。その不安から、何とかしなければというある種の正義感が地方から高まった。

 現代も似ていて、経済的な豊かさだけを根拠にしてきた状況が解体しました。すると、イデオロギーや精神論に走って不安を糊塗(こと)しようとする。確実なものがないことへの不安と、その裏返しの過剰な正義感が、左右を問わずに出てきています。白か黒か、保守かリベラルかの二項対立だけで、地に足のついた議論が行われなくなっている。

 昨今も、道徳の教科書の記述をめぐって激しい議論がされているようですが、左右どちらの側も問題の本質を見ようとしない。本質とは「子どもが健やかに育つこと」であり、そのために何が必要かを考えるということです。

 いま子どもたちが直面している最大の問題は「何を道徳の教材にすべきか」ではなく、教育現場そのものの余裕のなさなのです。教師は、仕事があまりに多すぎて疲弊しきっている。まず教師の業務過多を解消する具体的指針を提示すべきです。それを抜きにして、道徳教育をどうするか、教育勅語を教材にすべきかどうかを論じていても、何も実を結ばない。

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 森友学園問題に始まった、教育勅語をめぐる今回の騒ぎは、それ自体は大したことではないと思います。国民の多くはワイドショー的な興味しかないんじゃないですか。でも、この小さな例を掘り下げていくと、現代の日本社会が抱える、より本質的かつ大きな問題に突き当たります。

 確固とした価値観がなく、誰もが不安だから、何かいい処方箋(せん)はないかと探している。左右を問わず、断定的な言葉、乗りやすい価値観が出てくれば、一気にそちらに行ってしまう可能性があります。かつてのように、国民が「画一化」されてしまうかもしれない。その危険性に気づくためにこそ、今回の教育勅語騒動は掘り下げて考えるべきなのです。

 (聞き手 編集委員・尾沢智史)

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 せんざきあきなか 75年生まれ。専門は日本思想史。著書に「ナショナリズム復権」「違和感の正体」「高山樗牛 美とナショナリズム」など。
    −−「耕論 教育勅語の本質 三谷太一郎さん、先崎彰容さん」、『朝日新聞』2017年04月19日(水)付。

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