覚え書:「憲法を考える 施行70年 70年変わらない意味 ケネス・盛・マッケルウェインさん、駒村圭吾さん」、『朝日新聞』2017年05月02日(火)付。

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憲法を考える 施行70年 70年変わらない意味 ケネス・盛・マッケルウェインさん、駒村圭吾さん
2017年5月2日

世界の現行憲法の長さ/現存非改正、憲法典の年齢

 憲法と一口にいっても、国によって、長さも書き方も違う。施行から70年を迎える日本国憲法は、外国の憲法に比べてどんな特徴を持つのか。条文を変える必要性や意味はどう違うのか。そもそも「憲法を変える」とは、どういうことなのか。

 

 ■少ない分量、詳細は個別立法 ケネス・盛・マッケルウェインさん(東京大学准教授)

 米シカゴ大学を中心にした「比較憲法典プロジェクト」のデータを使って研究しています。米国憲法が施行された1789年以降に存在した約900の成文憲法を英語に翻訳し、760を超える項目についてデータ化され、分析が可能となっています。

 憲法改正の手続きが変更された場合は、新しい憲法という判断をします。日本だと明治憲法と現在の憲法の二つが対象です。

 国際的に比較して、日本国憲法の目立った特徴は、全体の文章が短いことです。英訳の単語数は4998語で、最も長いインドは14万6千語、平均は2万1千語。日本よりも短いのはアイスランドモナコなど5カ国だけです。

 もう一つの特徴は「長寿」です。70年間一度も改正されていない日本の憲法は、現行憲法としては世界一です。2位はデンマークの63年です。

 長期間、日本の憲法が改正されなかったのは、憲法9条をめぐって国論を二分した議論が続いてきたような政治の状況だけでなく、憲法そのものの構造的な理由があったと考えています。

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 まず、分量が少ない日本国憲法は、多くの国では憲法本体に書かれている選挙や地方自治など、統治に関する項目が「法律で定める」とされている場合が多い。ノルウェーのように憲法で選挙区まで定めている国と、公職選挙法を60回近く変えても、憲法を変える必要のない日本とでは憲法改正についての条件が異なるのは当然でしょう。

 一方で、人権については、制定当時の国際水準からみると、多くの記述がなされており、先進的でした。そのため、例えば男女同権についての新たな規定を憲法に追加するといった切実な必要性がありませんでした。

 短いですが、「人権」には手厚く、「統治」は法律に任せていることが、改正の必要がなかった大きな理由だと考えられます。

 また、改正されなかった理由として、衆参両院の総議員3分の2以上の賛成が発議に必要で、ハードルが高いという指摘もあります。自民党は、発議要件を両院の2分の1に下げるべきだと主張しています。しかし、議会による憲法改正手続きを定めているこれまでに存在した394の憲法典のうち、日本と同じ3分の2は78%を占め、2分の1はわずか6%。4分の3が11%、5分の3が3%でした。それでも多くの国で憲法が改正されていますから、3分の2が極端に高いハードルとはいえないでしょう。

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 国の最高法規である憲法が長期間にわたって改正されていないということは、その国の政治や経済が安定していることを示し、必ずしもマイナスとはいえません。逆に明確な理由がない限り、憲法典を書き換えることにはデメリットが多いでしょう。

 日本でどの分野で憲法改正をすべきかという点では、世論調査でも、政治家に対する調査でも、環境権などの新しい人権を加えるべきだと考えている人が多い。しかし、具体的な環境権の中身は、議論が尽くされていません。憲法に盛り込めば、沖縄県の基地周辺での訴訟や公害や事故での企業の賠償などに大きな影響が出てくるでしょう。

 私が改正を検討すべきだと考える項目は、国会議員を選ぶ方法です。法律が国民を縛るのに対して、憲法は法律を定める国会議員ら権力者を縛るものです。選挙のルールについて「法律で定める」としているのは、国会議員に自分たちを選ぶルールを任せています。選挙で多数を得れば変えられるので党利党略に支配されがちです。ここ20、30年の政治改革は、牛歩のようにしか進まず、一票の格差に司法も明快な判断を示せない状況です。この分野でこそ、立憲主義の原則に立ち返るべきでしょう。

 (聞き手・池田伸壹)

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 Kenneth Mori McElwain 1977年、東京生まれ。専門は政治学ミシガン大学准教授を経て2015年より現職。論文に「株価か格差か」など。アイルランド国籍。

 

 ■大きな構造体、変動に警戒を 駒村圭吾さん(慶応義塾大学教授)

 日本国憲法の文字数が他の主要国と比べて少ないのは確かです。ただ、そのことが「憲法」の規範としての密度の低さに直結するわけではありません。

 憲法は本来、理念や原理を定めるものです。条文が細かいことまで決めていなくてもおかしくはない。さらに言えば、あの103カ条の憲法典だけが「憲法」ではないのです。

 憲法典に書かれていることの多くは理念でしかないので、それを制度化し、統治のしくみを組み立てていくための制定法、つまり法律や条約などが必要です。もうひとつ必要なのが、理念の意味を明らかにする解釈法、すなわち最高裁判例や政府解釈です。憲法典の下、制定法、解釈法が一体となって「憲法」ができあがっている。

 日本の場合、最高裁は、具体的な訴訟を起こされないと憲法解釈を示せない。必然的に、政府が行う解釈が重要な位置を占めることになります。集団的自衛権の行使をめぐる政府解釈の変更が改憲に匹敵するのはそのためです。

 憲法を変えるには、条文だけでなく、制定法や解釈法のかたまりも考えないといけない。条文だけ変えても、他がついてこなければ意味がない。逆に、憲法典が変わらなくても、「憲法」が変わることが起きうる。

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 70年間、日本の憲法典は変わっていませんが、「憲法」は細かいところで変動しています。そんな中、大きな変動は来さず、自らを守ってきたのが9条でした。PKO参加、集団的自衛権の行使容認など、外装は変わりましたが、「必要最小限度の実力しか持たない」「戦力と自衛力を区別する」という最も核心的な部分は一貫して変わっていない。

 自民党改憲を進めようとしていますが、解釈の集積のどこをどう変えるかまで綿密に考えているようには見えないものもあります。意味のある改憲でないと、解釈を拘束することはできません。

 解釈法をつかさどっている法律専門家たちが自律しているからこそ、改憲に良き緊張をもたらすのです。最近では、内閣法制局など、解釈を担う機関が脆弱(ぜいじゃく)になっている。そうなると、解釈法が骨抜きになり、意味のない文言の変更でも、それこそ忖度(そんたく)を通じて、政権にとって都合のいい解釈が垂れ流されることになりかねない。

 恣意(しい)的な解釈が肥大しないよう、条文に細かい規定を書き込むというのは、ありうる考え方です。とはいえ、他の条文に比べ、9条だけ規定が細かくなるのは、憲法の構造や美学からするといかがなものかと思います。自民党改憲草案では、緊急事態条項だけが細かくて、どこか不自然です。

 つねに、大きな構造体としての憲法全体をつぶさに見ておくことが必要です。いつ、どこで何がどう変わるかわからない。潜在的な変動につながる芽をつねに警戒しなくてはいけません。

 おかしな変動の芽が出てきたときにこそ、憲法典が重要になってきます。「それは解釈では変えられない。条文を変えないかぎりできない」と言うことで、局所的に進行する潜在的憲法変動を止めることができるからです。

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 度重なる改憲のうねりに抗し、生き延びてきたのが今の憲法です。「押しつけで正統性がない」と言われますが、日本国憲法の正統性とは、70年間生き延びてきた、そのことの重み自体にもとめるべきです。

 近い将来、改憲がなされるとしたら、それは国民の手による初めての憲法変動になります。であれば、憲法改正には、憲法制定に匹敵する世論の高まりが必要です。いま、そんな熱気があるでしょうか。国家の基本を変える大事業を、東京五輪よりも低い関心のもとで進めるのは、憲法に対して失礼です。

 (聞き手 編集委員・尾沢智史)

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 こまむらけいご 1960年生まれ。専門は憲法。著書に「憲法訴訟の現代的転回 憲法的論証を求めて」、編著に「『憲法改正』の比較政治学」など。
    −−「憲法を考える 施行70年 70年変わらない意味 ケネス・盛・マッケルウェインさん、駒村圭吾さん」、『朝日新聞』2017年05月02日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12919380.html


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