「ケミカルコンビネーション」ではない「樹木のように成長する思想」へ
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上坂 第二回目の新人賞が映画評論家の佐藤忠男さんの『任侠について』。あの人のは名文でしたね。
鶴見 佐藤忠男はあれを貫いた。
上坂 あの人はきちっとしています、ほんとに。
鶴見 彼は新潟県で中学校の試験に落第したんだよ。だから中学校に入っていない。教科書を丸暗記する人が上の学校に入る。佐藤忠男は、はじめから授業なんて受けてませんから、そもそも合格する人ではないんだ。彼は代わりに予科練に入ったんです。
上坂 あの頃の少年らしいわ。
鶴見 私は樹木のように成長する思想を信じるんだ。大学出の知識人はだいたいケミカルコンビネーション。そういう人は人間力に支えられていないから駄目だという考えです。私と接触がある人では、上坂さんにしても佐藤さんにしても、樹木のように成長しているものを感じるね。文章を見ればわかる。
−−鶴見俊輔・上坂冬子『対論異色昭和史』PHP新書、2009年、151−152頁。
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気が付いたら、今日が短大の「哲学」の最終講義でした。
準備はさきほど終わったのですが、今日は最後にがっつり吠えてこようかと思います。
哲学なんざア、虫食い問題を解くような科目ではありませんので、ひとりひとりの人間が、全体との関係を絶つことなく、磨き続けていかなければならない科目ですから、大学の授業・講座・教室で、
「はい、終わりw」
……って形でマスターできるものではありません。
この学問のもつ性質はもう受講生たちには理解して戴いているとは思います。
覚えることがわるいわけでもありませんし、知らないことが恥ずかしいわけでもありませんが、そういう考え方をヒントにしながら自分自身の考え方を洗練させていくことが大切な学問です。
……などというと、
「結局、答えはない」んですね。
……と早計されることが屡々ありますが、それはそれでまた違うんです。
これまでの義務教育では、基本的に「答え」は存在するよう設計されておりますし、模範回答集もありますが、哲学にはその意味での「答え」はありませんが、「答えはない」わけではありません。
自分で掴みとってほしい……ということです。
そのことにより自分自身を大きく成長させていく……そのひとつのきっかけになればと思う次第です。
私淑する哲学者・鶴見俊輔先生(1922−)が指摘しておりますが、「ケミカルコンビネーション」じゃダメなんです。「私は樹木のように成長する思想を信じるんだ。大学出の知識人はだいたいケミカルコンビネーション。そういう人は人間力に支えられていないから駄目だという考え」というところです。
哲学に限らず、大学で学ぶ本当の学問とは手段にしかすぎません。
それをヒントに自分をどう育んでいくのか。
「樹木のように成長する」一人一人になって欲しいなあ、と思うわけですが、今日も手を抜かずにがんばりますので、受講者の皆様、どうぞ宜しくお願いします。
⇒ 画像付版 「ケミカルコンビネーション」ではない「樹木のように成長する思想」へ: Essais d'herméneutique