「国民が教養を積む内面的な営みをつづけること」を拒否し続けると「輝ける悲惨」もぼろっと出てしまう。
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ルソーは文明よりも未開の状態が望ましいと語ったが、われわれ人類がこれから登りつめようとしている最後の段階を見逃すならば、これはそれほど間違っていたわけではない。われわれは芸術と科学の力のおかげで高度の文化を所有している。あらゆる種類の社交の礼儀と典雅さにかけては、複雑なほどに文明化されている。しかしわれわれが道徳化されているかどうかを考えてみれば、まだ欠けているところは大きい。というのは、道徳性の理念は本来は文化に属するものであるが、われわれはこの理念を名誉欲や外的な上品さというみかけだけの道徳の意味だけで使っているのであり、これでは道徳性はまだ文明に属するにすぎないのである。
しかし国家が、虚栄心のもとで権力の拡張の意図を推進することに全力を傾け、みずからの思想を内側から育む国民のゆっくりとした営みを妨げようとするならば、そしてこうした営みへのあらゆる支援を拒むならば、国民の思想の形成は期待できないのである。すべての公共体では長い時間をかけて、国民が教養を積む内面的な営みをつづけることが必要だからである。道徳的な善をめざす気持ちに結びつかない善はすべてまったくの偽善であり、輝ける悲惨にほかならない。これまで説明してきた方法で、混沌とした国家のありかたから脱出するまでは、人類はこのような状態にとどまざるをえないだろう。
−−カント「世界市民という視点からみた普遍史の理念」、『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』光文社古典新訳文庫、2006年、54−55頁。
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被災地での献身的な努力。
そして非被災地からの祈りにも似た応援。
そしてそれとは裏腹にヒステリックかつパニック的な買い占め行為。
日本人は礼儀正しく事態に対応しているという評価があり、これを否定することもできませんが、エートスとしてそう馴化されている反面、集団パニックは起こさないものの、集団ヒステリー的な「善」と錯覚した我利我利行動を発動してしまうのかもしれません。
非常事態のときに人間性が試される。
ぽろっ出てくる悪意に少し悩まされた1日です。
GMSでも仕事をしているのですが、連日、売り場はカラッポ。
「なんでものがないんじゃ」
「おまえら後方に隠しているんだろう」
……てか、アリエナイし。
道徳性の理念を個々人が「名誉欲や外的な上品さというみかけだけの道徳の意味」で使ってしまった場合はそれは意味のないものだし、「民は愚かに保て」とばかりに「長い時間をかけて、国民が教養を積む内面的な営みをつづけること」を拒否し続けた領域国民国家の本朝ですから、「輝ける悲惨」もぼろっと出てしまう。
この地震をきっかけに、もういちど、「人間とは何か」を考え直さなきゃいけない。
疲れたorzorzorz
⇒ ココログ版 「国民が教養を積む内面的な営みをつづけること」を拒否し続けると「輝ける悲惨」もぼろっと出てしまう。: Essais d'herméneutique
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