多元的なイメージを合成する思考法の必要






        • -

多元的なイメージを合成する思考法の必要
 われわれの社会における言語が組織の多元化と平行して複数的になるということ、それからイメージ自身が、それがどんなに元来の対象から離れていても、そのイメージなりに社会的に通用して、独自の力になっていくという、この基本的な事実から出発して、全体状況についての鳥瞰をいわばモンタージュ式に合成してくような、そういうテクニックと思考法というものを、われわれが要求されているんじゃないかと思うのであります。
 これは同時に社会科学の問題でもあります。原理とか原則とかの真理性というものによりかかっているだけではすまされなくなった。つまりこれがほんとうの「真理」なんだ、あとはみんなイリュージョンなんだといって安閑としていると、「イリュージョン」がどんどん新たな現実を作っていき、「真理」の方を置いてきぼりにして、現実が進行してしまう、こういう状況のなかにわれわれはおかれている。十重二十重のイメージの壁のなかでひとり「真理」の旗を護るということだけではやっていけない。むしろどういうふうに、人々のイメージを合成していくか、組織内のコトバの沈澱を打破して自主的なコミュニケーションの幅をひろげていくかというのが、これからの社会科学の当面する問題ではないでしょうか。
 ちょうど犯人をさがすときに、犯人を見たという人々の印象からモンタージュ写真を作成するような操作が学問の方法の上でも考えられなければならない。原理原則から天降るのでなしに、いわば映画の手法のように、現実にある多様なイメージを素材として、それを積み重ねながら観客に一つの論理なりアィデアなどを感得させる方法を、もっと研究することが大事ではないかと思います。そういう問題を皆さんと一緒にこれから考えてゆきたいと思うものですから、その前提として、組織のタコツボ化の問題とイメージの一人歩きの問題という二つの問題に焦点をおいてお話したわけであります。
    −−丸山眞男「思想のあり方について」、『日本の思想』岩波新書、1961年、150−151頁。

        • -

少し丸山眞男(1914−1996)の古典的名著を読み直していたら、正直、おどろいたので、その部分を抜き書きしておきます。

ソーシャルメディアの発展と利用頻度の上昇に伴い、……これは私見になりますが……、ア・プリオリな真理イメージの提示よりも、相互訂正によって、「より」よい状況へどのようにいたることができるのか、という点に重心移動しているのが現代ではないかと思っております。

ローティ(Richard Rorty,1931−2007)の真理の鏡像論批判をひくまでもなく、おそらく、そうあってしかるべきだと思うのですが、そうした点を今からちょうど五十年前に、……丸山先生の当時の言葉になりますが……、「多元的なイメージを合成する思考法の必要」を指摘していたことには瞠目です。

アカデミズムの世界においては、出欠管理システムのIC化にみられるようにどんどんとタコツボ化的先鋭化を進む一方ですが、イノベーションをもたらすそれは本来的には「どういうふうに、人々のイメージを合成していくか、組織内のコトバの沈澱を打破して自主的なコミュニケーションの幅をひろげていくかという」という方向性とは逆ベクトルにて……涙

その意味では、「組織のタコツボ化の問題とイメージの一人歩きの問題」という相剋はますます広がってしまうばかりですよw







⇒ ココログ版 多元的なイメージを合成する思考法の必要: Essais d'herméneutique


Resize0236


日本の思想 (岩波新書)
丸山 真男 丸山 眞男
岩波書店
売り上げランキング: 3601