僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる





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大杉栄「僕は精神が好きだ」『文明批評』一巻二号、一九一八年二月。

 僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
 精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらだ。生まれたままの精神そのものすらまれだ。
 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
 社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。
 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。しかしこの精神すら持たないものがある。
 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そして更にはまた動機にも自由あれ。
    −−大杉栄(飛鳥井雅道編)「僕は精神が好きだ」『大杉栄評論集』岩波文庫、1996年、141−142頁。

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常軌を逸脱したような自由奔放な行動を取る必要はないとは思う。
ただし、精神における「自由」だけは、どこかで堅持しておかないと、結局は、他人の頭を借りて思考してしまうことになってしまう。

体系や理論を学ぶことが無意味だとまでは言わない。
だけど、それをそのまま受容することは、どこかで「まやかし」を生んでしまう。

発露として発想し、動くこと。

どこかで心がけておかないとネ。





⇒ ココログ版 僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる: Essais d'herméneutique


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