覚え書:「隠れキリシタン墓地、長崎・垣内集落に現存」、『読売新聞:九州版』2011年12月24日(土)付。
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隠れキリシタン墓地、長崎・垣内集落に現存
長崎市多以良町の垣内集落に残るキリシタン墓地について、地元研究者らのグループ「外海(そとめ)キリシタン研究会」は23日、禁教令が出されていた江戸時代に造られた可能性が高いと発表した。隠れキリシタンの墓地が破壊されずに現存しているのが確認されたのは初めてという。
墓地は約120平方メートル。石を長方形に並べた「長墓」と呼ばれる墓碑64基が40〜50センチ間隔であり、その一部は複数の石の上に1枚の長方形の石を置く1600年代中頃(江戸時代初期)の特徴を有しているという。江戸時代の垣内集落は佐賀藩深堀領の飛び地。周囲に領地があった大村藩は幕府の禁教令を受け、キリシタン墓地を破壊し、仏教式に改めさせていた。
長崎歴史文化博物館(長崎市)で地域史研究に携わる同会の大石一久会長(59)は「深堀領では弾圧が厳しくなく、飛び地だったこともあって見逃されたのでは」と推測する。
−−「隠れキリシタン墓地、長崎・垣内集落に現存」、『読売新聞:九州版』2011年12月24日(土)付。
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http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/history/20111224-OYS8T00235.htm?from=tw
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「江戸時代に築造された可能性が高いキリシタン墓地(23日午後、長崎市多以良町で)=大島朋幸撮影」