覚え書:「社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也」、『毎日新聞』2011年12月30日(金)付。
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社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也
今年はオウム真理教をめぐる刑事裁判がすべて終結した年だった。重い教訓を生かしたいが、信者たちがなぜ、深刻な犯罪に走ってしまったのか、解明するのはこれからの課題だ。
大部な研究書「情報時代のオウム真理教」(宗教情報リサーチセンター編、春秋社)が今夏に刊行された。若手からベテランまで18人の研究者たちが膨大な1次資料を分析している。その記述で、オウムが情報発信能力にたけていたうえ、メディアが結果としてうまく使われていたことが印象的だった。
何種類ものビデオやアニメ、説法テープ、出版物、歌、ロシアからのラジオ放送が布教のために駆使された。音楽では、一般の人に対するもの、信者の信仰を深めるためのもの、出家信者のみを対象に「敵」への明確な意思を示したものの3種類があり、3層構造によって、代表者への絶対忠誠が深められていったという。
また、テレビのワイドショーやバラエティー番組はオウムを「ネタ」として消費し続けた。この本の責任編集者である宗教社会学者の井上順孝・国学院大教授は、オウムを不特定多数につなぐ役割を果たしたのではないかと指摘する。
地下鉄サリン事件から16年がたち、若者たちの宗教意識からは事件の風化が見て取れる。事件直後は宗教教団への強い不信があったのに、2000年代半ばごろから確実に宗教への関心が高まっているというのだ。
たとえば、「宗教と社会」学会などの昨年の意識調査では、大学生4311人中、11.9%が「信仰を持っている」、38.2%が「宗教に関心がある」と答えた。いずれの数字もこの10年間、増え続けている。
さらに二つの要因が気になる。一つはインターネットの発達で、社会の情報化が飛躍的に深まっていることだ。不特定の人が情報を通して宗教に触れる機会は多くなっている。
また、東日本大震災や原発事故がもたらす影響も注目される。多くの日本人が死に直面したり、文明のあり様を疑ったりした経験は宗教意識にも、変化を及ぼすのではないか。
自分が生きる意味は何なのか、死後をどう考えるのかなど、宗教的な問いかけは人間本来のものだろう。宗教への関心が深まることには、肯定的な側面もあるかもしれない。でも、オウムのようにそれを悪用する集団が出ないとも限らない。
そんな中で教訓をどう生かすのか。既成の宗教はもちろん、私たちメディアのあり方も問われている。(論説委員)
−−「社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也」、『毎日新聞』2011年12月30日(金)付。
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http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111230k0000m070083000c.html
「やや日刊カルト新聞」による【書評】『情報時代のオウム真理教』
やや日刊カルト新聞: 【書評】 現代宗教社会学研究の画期的書籍“情報時代のオウム真理教”
※以下関連ツィートのまとめ
テレビはオウムを『ネタ』として消費⇒「オウムを不特定多数につなぐ役割を果たしたのではないか」(井上順孝氏)。教訓をどう生かすのか。既成の宗教はもちろん、私たちメディアのあり方も問われている。
うえの書評では「井上氏は『癒しブームやスピリチュアル・ブームに棹さしたような論考のなかには、何か危ういものが混じっているのを感じることがある』と、昨今のジャーナリズム、特にテレビの報道姿勢に警笛を鳴らす」。
しかし、この「『ネタ』として消費」はヤバイ。
北朝鮮の扱いも「ネタ」のひとつ。
結局、対象を分析しようとか批判(クリティークとしての)しようという眼差しではない。
要するに「おもしろおかしけりゃいい」っていう「揶揄」。
チャップリン(Charles Spencer Chaplin, Jr.,1889−1977)の「笑い飛ばす」とは程遠い2ch文化でしょ。
問題あるよな。
春秋社
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