仮に一人を除く全人類が同一の意見をもち、唯一人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙させることの不当であろうこと……
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仮に一人を除く全人類が同一の意見をもち、唯一人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙させることの不当であろうことは、仮にその一人が全人類を沈黙させうる権力をもっていて、それをあえてすることが不当であるのと異ならない。
−−J・S・ミル(塩尻公明、木村健康訳)『自由論』岩波文庫、1971年、36頁。
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年があけてから、橋下徹大阪市長閣下(1969−)が狂ったように「税金を投入されてる奴は俺のように実績を出すか黙っていろ」って連呼して、特定の学者たちをやたらめっぽう「個人攻撃」している。
もちろん、識者の提示したもろもろの議論における正当な批判は真摯に受け取るべきだろうし、批判とされるもののなかに「揶揄」のようなものが含まれているならば、「大声で叫び続けたモノが勝ち」ってやり方ではなく、それを適切に取り出し粛々とクリティークすればよいだけの話し。
しかしながら、閣下の詐称するような「具体的対案」というものが仮りになければ、議論から降りろ、というのは暴論に過ぎやしないだろうか。
民主主義はひとつのシステムにしか過ぎない。様々な意見の窓口を広く集約するシステムだ。そしてそこには負担が伴う。しかしその負担をコストとして窓口を閉ざしてしまうのは早計だろう。
もちろん、現行窓口運営経費のコストダウンは必要だろうけれども、それは窓口封鎖とは同義ではない。合意形成の決断は二者択一として断定されるわけだけど、その議論の土壌を粉砕するのは論外でしょう。
しかも、公正とは遠くかけ離れた「演出家」の田原さんに呼びかけてとかネ。
まあ、何をいってもいいんだろうけれども、何を封じてもよいわけではないことを基礎の基礎として理解しない限り、それはかえって自分の首を絞めることになるのだと思うのだろうけれども……ネ。
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