日記:「問題」は「見えない所」へ封じ込めて、例えば、「差別は存在しません」というアナウンスが日本社会の構造。

1


        • -

橋下氏、在特会と面談 ヘイトスピーチ巡り応酬
2014年10月21日
(写真キャプション)激しく言い合う在特会桜井誠会長(右)と橋下徹大阪市長

 ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)の対策を検討している大阪市橋下徹市長は20日、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠会長と市役所で意見交換をした。両者は怒号を飛ばして激しく応酬。主張は平行線のまま、30分の予定が10分弱で終わった。

 橋下氏は7月の記者会見で「ヘイトスピーチはやり過ぎだ。僕が直接対応する」と表明。これを受けて、在特会側が面談を申し入れていた。面談は報道陣に公開で行われ、会場の会議室には100人ほどの報道関係者らが詰めかけた。

 橋下氏は「民族とか国籍をひとくくりにして評価するような発言はやめろ」と批判。そのうえで「参政権を持っていない在日韓国人に言ってもしょうがない。在日の特別永住制度に文句があるなら、それをつくった国会議員に言え」と求めた。一方、桜井氏は「あんたの友だちの国会議員に言っている」。ヘイトスピーチを行ったという具体的な事実関係を示すよう求め、「民主主義のルールに基づいてデモ行進をやっている。言論の自由を否定するのはやめろ」と反論した。

 3メートルほど離れて座った両者は冒頭からけんか腰だった。最初に「あんた」と言われた橋下氏が不快感を示す。やりとりの中で「うるせえ、おまえ」と橋下氏が発言すると、今度は桜井氏が激高。両者が立ち上がって詰め寄り、警備担当者ら10人ほどに取りなされる場面も。最後は橋下氏が「もう終わりにしましょう」と、議論を打ち切った。(井上裕一)
    −−「橋下氏、在特会と面談 ヘイトスピーチ巡り応酬」、『朝日新聞』2014年10月21日(火)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S11412579.html


ついったのまとめですが……手抜きですいません。

橋下徹大阪市長が、桜井誠在特会会長と面談したそうな。内容以上に醜悪なのは「両者は冒頭からけんか腰」というそれ。本質は言論で解決しようという意志がないという暴力体質に他ならない。

「民主主義のルールに基づいてデモ行進をやっている。言論の自由を否定するのはやめろ」とは桜井誠

しかしながら橋下市長の挑発に激高した桜井氏は立ち上がって詰め寄り、警備担当者らに取りなされる訳ですよ。「暴力も辞さない」という態度が見え隠れしています(橋下氏もだけど。

「真面目にやっている」“つもり”と“ポーズ”だけの二人にエールを送っている場合ではありませんぜ。



 


橋下徹VS桜井誠の話題でいくつかRTしましたが、現実に負傷を負う「暴力」でありながら、その対論はどこかTVで「見る」「プロレス」状態。何度も言及しますけど「ディベート詐欺」つうのは、ゼロ地平ではなく真理を反故にする契機。しかも今回は更にひどい状況を招く導火線にもなった訳で。

他律的ではなく自律的に過去の所業を反省する視座を持ち得ないどころか、ありもしない「在日特権」とやらを「問題」であるかのような議論へ収斂し、問題があるなら大いに検討とはこれいかに。ありもしない議論に時間を費やす暇はないと思うんですよ。他に手をつけなければならない課題が山積でして。

今月で精神科勤務して半年になったけど、退院する方(男)から「ここって高齢者女性病棟ですか?」って聴かれて「え!」と思ったけど、そう指摘されるとそんな具合で、(病院で違いはあるでしょうけど)入院者の2/3が女性でそのうち2/3が高齢者。姨捨山状態だなあと実感しましたよ。

世界でもっともベッド数が多い日本の精神医療。中でいると、医療スタッフの現実はよくがんばっているとは思うけど、厚生労働省が精神科を地域移行するどころか「居住化」していると聴く。世界の潮流と逆行ですけど、退院しても転院・施設移動の繰り返し。

すでに「居住化」という「囲い込み」ですがな。
※ちなみに地域以降が世界の潮流。

「問題」は「見えない所」へ封じ込めて、例えば、「差別は存在しません」というアナウンスが日本社会の構造。在日外国人に対する「区別」と称した「差別」も同じだし、ハンセン病の歴史がその代表事例でしょうが、「無ライ県」よろしく精神科の「世間」からの見えない化=現代版「無精神病患者県運動」の国を挙げても同じでしょう。

大文字で言えば、福島第一原子力発電所の事故収束や震災復興から、小文字で言えば「いじめ」に至るまで。本当に着手しなければならない問題は山積ですよ。ヘイトスピーチやって、ありもしない問題を問題視して「真っ先にこれに手をつけますよ」という政治家の影がちらほらでしょう。本末転倒ですがな。

プロレスの試合をテレビでみながら、やいのやいのといいながら「やっちまえ」といっても始まらないのに、やいのやいのといって「やっちまえ」と試合に「感動」したら、はい、おしまい。消費の文化は何も創造しませんよ。やいのやいのというのなら、身近な日常で関わることを想起せよですよ、ほんと。



12

Resize2453



安保と原発――命を脅かす二つの聖域を問う
石田雄
唯学書房
売り上げランキング: 565,225