語りをつうじて顔が私とのあいだに関係をとりむすぶとしても、顔はそのことで〈同〉のうちに組みいれられるわけではない

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 語りをつうじて顔が私とのあいだに関係をとりむすぶとしても、顔はそのことで〈同〉のうちに組みいれられるわけではない。顔は関係のなかにありながら、絶対的なものでありつづける。〈同〉のうちに囚われていることを意識が疑いつづける、独我論弁証法が中断されているのである。語りを支える倫理的な関係はじっさい、その光線が《私》から放射されるような、意識のヴァリアントではない。倫理的関係によって〈私〉は問いただされる。このような問いただしは他者から開始されるのである。
    −−レヴィナス熊野純彦訳)『全体性と無限 下』岩波文庫、2006年、33頁。

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昨夜は、月末から北京へ2年間留学する若き俊英たちと一献。

半年ぶりの再会でしたが、ふたりの成長のすさまじさに驚いた次第。

まあ、生きていく上で、踏まえておかなければならないことは何か。

いくつかあるのでしょうが、そこに所属しているから大丈夫だとか、このコースに乗っているから大丈夫という安心感をどれだけ排除していけるかということ、「組み込まれる」で安心することにどれだけ抵抗することができるのか、っていうことに尽きるのは否定できないですよね。

否、逆にそのからくりを承知したうえで、その枠組みを積極的に利用して、自己の成長へと転換できるかどうか。

……このあたりにかかっているような気がします。

消極的にすいこまれていくことを自覚しないのではなく、自覚したうえで、積極的に関与する。

外見は同じだとしても内実は大きく違うはず。

……ともあれ、若き英才たちの前途に幸あらんことを祈りつつ。

私自身も大変刺激をうけましたので、私も大きく成長した姿で、次の再会を期したいと思います。

昨夜は短い時間でしたが、ありがとうございました。









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