覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『色へのことばをのこしたい』=伊原昭・著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。



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今週の本棚:堀江敏幸・評 『色へのことばをのこしたい』=伊原昭・著
笠間書院・2310円)

 ◇古典文学をときほぐす「色」への尽きぬ想い
 先日、三十六年ぶりにトキが野生で孵化(ふか)し、無事に巣立った。これは絶滅危惧種を救うと同時に、朱鷺(とき)色という色をも救う、大きな出来事である。鳥の名を付したひとつの色が色として成り立つためには、自然、文化、経済をふくむ、時代のすべての条件が整わなければならない。同時代に生きる者が、色に対してどのように心を寄せ、どのように接するか。鳥と色の関係は、人と言葉に、命そのものにかかわってくるのだ。
 本書は、文学と色のかかわりについて地道な研究を重ねてきた著者の、成果というより「想(おも)い」の精髄をまとめたものである。さまざまな媒体で語られた「色へのことば」。大切なのは、色の言葉ではなく、色への言葉、色と自分との近さ遠さを、いま一度見きわめようとする姿勢である。
 神話の時代から、色はことばとともにあった。倭建命(やまとたけるのみこと)が東国討伐に出たとき、足柄の坂の神は「白き鹿(か)」に、伊吹山の神は「白猪(ゐ)」に化け、自身が崩じた際には「白き鳥」となって飛んで行った。白だけでなく丹(に)(赤)などにも、神性や霊力が宿っていた。
 しかし、この白をふくむ、青、赤、黄、黒の五つの色は、五行説の正色として大陸から伝来した「概念」だった。上代の日本では、鉱石や土を集め、それを摺(す)りつけたり塗ったりして色を出し、また草木を使って染めていたが、そこに当てられていたのは、原材料そのままの、具体的な呼称である。茜(あかね)という草の根で染めれば茜色になり、藍という草の葉と茎で染めれば藍色になり、梔子(くちなし)の実で染めればそれは支子(くちなし)色になった。
 平安時代になると、貴族たちが豊富な財力を用いて、古くから伝わる染料の開発と染色技術を格段に進歩させた。一種類ではなく数種類の染料で染め出していく交(まぜ)(混)染がひろがり、色に繊細な階調が生まれ、経(たて)糸と緯(よこ)糸の、それぞれの色を織り合わせることによって複雑な表現が可能になった。また、袷(あわせ)のように表と裏の布地の色を重ねる襲(かさね)(重)の色目の登場で、表を白、裏を紅(くれなゐ)にした組み合わせの結果としての桜色が再現されるようになった。
 色を身にまとうことは季節をまとうことであり、衣装の選択、色の選択が時宜に適(かな)っているかどうかがつねに問われる。そこから外れると「すさまじきもの」、不調和きわまりないと難じられた。地位によっても着られる色とそうでないものがあったが、可能な範囲内での着こなしには、趣味や性格や審美眼もおのずと滲(にじ)み出た。
 平安期の文学を、色を通して読み解く著者の目は、物語の糸の一本一本をみごとにときほぐす。『源氏物語』をめぐる頁(ページ)はとりわけ鮮やかだ。多様な色があるなかで光源氏があえて「白」を選んでいることの意義や、『枕草子』における男性の装束についての言及の多さを指摘するあたりには、「色への」想いが十全にあらわれた文芸批評の一例と言えるだろう。
 中世の武家社会における質実さと、儀式や戦場で身につける色の絢爛(けんらん)さの対比、そして、世捨て人たちが重んじた「白」の美。江戸の頃に、郭(くるわ)、遊里、芝居、劇場などから流行が生まれた「茶色」と「鼠色」で構成される、四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)の妙味。本書の末尾には、簡にして要を得た「色へのことば」がまとめられているのだが、鳶(とび)、鶯(うぐひす)、鴉(からす)、鶸(ひは)など、鳥の名と色が結びつく事例も数多い。救う対象は朱鷺だけではない。これらのことばを概念に貶(おとし)めないよう、日々を見直すことを、本書はじっくりと教えてくれる。
    −−「今週の本棚:堀江敏幸・評 『色へのことばをのこしたい』=伊原昭・著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。

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色へのことばをのこしたい
伊原 昭
笠間書院
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