覚え書:「ナショナリズムを考える B・アンダーソンさんに聞く」、『朝日新聞』2012年11月13日(火)付。




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ナショナリズムを考える B・アンダーソンさんに聞く(ナショナリズム研究の第一人者)


「排外主義や人種差別は、ナショナリズムとは本来、別のものなのです」=米ニューヨーク州イサカ、増池宏子氏撮影

ベネディクト・アンダーソンさん

米コーネル大名誉教授、ベネディクト・アンダーソンさん
ナショナリズム研究の第一人者)

 急に燃え上がったり、刺激し合ったり、ときに暴走して好戦的になったり。扱いを誤るとたいへんなことになるのがナショナリズムだと思っていた。国民とは「想像の共同体」であると唱えて世に衝撃を与えた、米コーネル大名誉教授のベネディクト・アンダーソンさんに聞いた。私たちは、これをどう扱えばいいのでしょうか。
■本来は社会つなぐ欠かせない接着剤 差別的思想とは別
 ――日本で、いや中国でも韓国でも近頃、国家の誇りやナショナリズムを強調する言葉が目立ちます。
 「確かに、みんな大声を張り上げていますね。日本では例えば、石原慎太郎さんですか。都知事を辞職して、きっとさらに大声になるのでしょう。安倍晋三さんも再び、自民党の総裁になりましたし」
 「彼らは、もっと強硬な外交政策を採るべきだと主張しています。しかし、これは本来のナショナリズムとは違うものです。彼らのような主張が受け入れられるようになったのは、この15年ほどの間、自民党にしろ民主党にしろ、政治が機能しなかったことに原因がある。不安や自信喪失といった感情が、こういった現象を呼び起こしています。日本はもはや大国ではないという思いが、人々に大きな声を上げさせるのです」
 ――石原前知事の言うようなことは、本来のナショナリズムではないということでしょうか。
 「ええ、違います。自分の国がどうもうまくいっていないように感じる。でも、それを自分たちのせいだとは思いたくない。そんな時、人々は外国や移民が悪いんだと考えがちです。中国、韓国や在日外国人への敵対心はこうして生まれる。これはナショナリズムというよりは、民族主義的、人種差別的な考え方です」
 「米国でも同じことが起きています。国民の多くが、米国の優位性が弱まり、下り坂になったと感じているからこそ、新しい敵は中国だというプロパガンダが横行するのです。過去には、この役回りをネーティブアメリカンやファシスト共産主義者イスラム教徒がしましたが」
 ――国民は、近代になって「創作」されたものだと主張されていますね。では、ナショナリズムとは、いったい何なのでしょうか。
 「通常のナショナリズムは、日常生活の一部であり、習慣やイメージであり、空気のようなものなのです。例えば、テレビで天気予報を見るとします。その際、どうして日本各地の天気しか予報していないのか、などとは誰も疑問を抱きません。テレビのコマーシャルが、すべて日本人を対象にしていることについても、誰も注意を向けない。誰もが、『日本人』であることを当たり前に受け入れています」
 「ですが、日本が国民国家としてスタートしたのはほんの百数十年前、明治時代です。それまでは、自分は『日本人』だとは誰も思っていなかったはずです。象徴的なのはアイヌ民族と沖縄の人々です。日本政府は明治時代になって初めて、彼らを『日本人』に組み入れた。江戸時代より前は、自分たちとは違う民族だと区別していたのに」
 ――日本では、ナショナリズムは鬼門です。明治以降、国家の名の下に植民地政策を推し進め、最後に破局が訪れました。
 「ナショナリズムそのものが悪なのではありません。それは、いわば社会の接着剤であり、人々に『自分は日本人だ』と感じさせるものです。決して石原さんの威勢のいい演説が示しているようなものではない。そして、この当たり前の感覚が崩れるとしたら、それは社会の危機を意味します。まるで人がマラリアなどの病気にかかったときのように、すべての悪い症状が一気に噴き出てくるでしょう」
 「『上からのナショナリズム』と『下からのナショナリズム』を考えてみましょう。戦前の日本や、領土欲を隠そうとしない今の中国は、上からのナショナリズムに分類されるでしょう。一方で、過去に東南アジアなどにおいて起きたナショナリズムの勃興は、植民地支配からの独立を促し、抑圧された人々を解放する役割を果たした」
 「中国を例にすると、共産主義が事実上、過去のものとなり、中国共産党はいま、国家を統治し続ける根拠を問われています。経済成長は、その理由のひとつでしたが、右肩上がりも続かない。今まで、政府はうまくナショナリズムをはけ口にすることに成功してきましたが、いずれ袋小路に陥ります」
 「他の国と同様、中国でも人々は自分と子どもの未来を考え、どう生きて行くべきかを考えます。一党独裁言論の自由もないような政治体制でいいのか。私たちは何をすべきなのか。こんな問いを抱かせないために、国家が民衆に暴動を起こすことを認めているのだと思います」
 「そんな人々は容易に抵抗者へと変わりうるでしょう。だから政府はすぐに抑圧します。下からのナショナリズムは、体制をひっくり返すことがある。ベネズエラチャベス大統領の行動や、イランのイスラム革命にも、そんな側面がありました」
■国家が続く確信が偏見を乗り越え、未来への行動生む
 ――戦後日本では、ナショナリズムをやっかいなものだと考え、遠ざけて考えないようにしてきました。
 「本来、ナショナリズムは未来志向なんです。考えてみてください。私たちはなぜ税金を払うのか。それは、例えば公園や美術館を維持するためだと考えて納得します。その前提となっているのは、国家は将来も存続し続け、自分の孫や子たちもきっとこの国で生き続けるという揺るぎない確信です。私たちは、国家があるからこそ、未来のため、まだ生まれもしていない子たちのために行動することができる」
 「米国の例を挙げましょう。1960年代に黒人解放運動が盛んになりました。その潮流はフェミニズムや同性愛者の権利擁護にもつながる。その際に大きな役割を果たしたのが実はナショナリズムなのです」
 「私が言いたいのはこういうことです。黒人の権利、同性愛者の権利を認めるとき、人々は『彼らだって同じ米国人なんだから、同じに扱わなければ』と考えたはずです。国家という概念が、こんな考え方を可能にする。ナショナリズムは、人種偏見や性差別を乗り越えるのです」
 「一方で、排外的な人種主義、民族主義は、過去にとらわれる思考です。旧ユーゴスラビアの分裂は、その好例でしょう。クロアチア人、セルビア人らは第2次大戦前から一つの国家として共に暮らしていたにもかかわらず、過去に拘泥して悲惨な内戦を戦い、『民族浄化』すら起きた。過去に目を向けているという点では、中国で清朝時代を美化したドラマに人気が集まっていることも気がかりです」
 ――日本でも中国でも、インターネットが排外主義的なナショナリズムをあおっている面がありますが。
 「ネット上には、差別を助長するような内容の情報が漂っています。米国ではオバマ大統領は実はイスラム教徒だとか、日本でも嫌韓、嫌中などの情報が真偽もあいまいなまま、あふれています」
 「人は、自分が信じたいものを信じるものです。ネットでは、自分のお気に入りのリンクだけ見ていれば、他のニュースは見ずに過ごすことができる。政治、経済、国際などのニュースが一つになっている新聞とは正反対のメディアです。『リンクの世界』では24時間、特定の情報にだけ接して過ごすことができるし、グーグルで検索すれば何もおぼえる必要がない。コンピューターの前に座るだけの生活はもうやめたほうがいいと若者たちには言いたい」
 ――私たちはナショナリズムとどう付き合えばいいのでしょうか。
 「いくつか、ヒントがあると思います。スポーツの例は重要です。印象に強く残っているのは、2002年の日韓サッカーW杯で、日本が敗退した後に、多くの日本人が韓国の応援をしていたことです。米国もサッカーが強くないので、2番目にひいきのチームを応援する人が大勢います。自国のチームが負けたから無関心になるのではなく、別の国を応援する。ナショナリズムは、こんな形で昇華することもあるのです」
 「ナショナリズムを中和するような情報についても考える必要があります。日本では韓流ドラマや歌手が人気ですが、米国人はハリウッド映画ばかり見ていて多様な文化に触れる機会が少ないのは問題でしょう。さらに重要なのは、移民の存在だと思います。グローバル化が進み、今後は多くの労働者が外国に移り住むようになります。日本政府の移民政策は評価できませんが、『外人が来たら、日本らしさが失われる』というような議論が出始めたら危険です。それはナショナリズムなどではなく、単なる差別主義なのです」
■取材を終えて
 「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」。アンダーソンさんの名著「想像の共同体」の一節だ。国民は創作物なのかと驚いたのを覚えている。だからこそ、国家を維持するためにナショナリズムが不可欠だという。日本では負の印象がつきまとう存在だが、問題はどう飼いならすか、なのだろう。(真鍋弘樹、中井大助)
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 Benedict Anderson 1936年、中国・昆明生まれ。コーネル大名誉教授。専門は東南アジア。
    −−「ナショナリズムを考える B・アンダーソンさんに聞く」、『朝日新聞』2012年11月13日(火)付。

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