「全体の未来を守るという責任性」という観点から
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責任性の感覚というのはどういうことかといいますと、人間がみずからの命を守っていくことと同時に人間以外のすべての生あるものの未来、たとえば動物種、植物種の未来、音楽や芸術や映画といった非身体的な価値の未来、あるいは時間に対する人間の関係の仕方とか、他者への愛や思いやりの気持ち、そしてまた宇宙のなかの融合感覚、そういったもの全体の未来を守るという責任性のことです。
−−フェリックス・ガタリ(杉村昌昭訳)『三つのエコロジー』平凡社、2008年。
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ガタリによれば、種としての人間が人間自らの命を守っていくことだけに専念するのではなく、「生あるものの未来」にたいして、そういったものの「全体の未来を守る責任性」というのが「責任の感覚」になる。
たしかにこのホーリズムとも表現できる「責任の感覚」は、ポスト工業化社会において、必要不可欠な観点になることは間違いないとは思うけれども、同じように、自身の関わる人間に対して、どちらが先でどちらが後かなどと議論してもはじまらないのは現実の世界の道理ではないかと思う。
勿論両方が大切という意義でですが。
なので……?
昨日は家族で、お鮨……回るソレですが……へ行って来ました。
一昨年来より世相はどんどん悪くなるばかりですが、家人も大切にしながら、様々なものごととのかかわりを喪失することなく、新しい年も挑戦の日々でありたいと思う次第です。
少し早いですが、新しい年もどうぞよろしくお願いします。
三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)
posted with amazlet at 12.12.27