いまやわれわれの学問は、国家権力の目的に奉仕するためにではなく、真理は真理として自由に研究し、自由に発表することでなければならない



        • -

 いまやわれわれの学問は、国家権力の目的に奉仕するためにではなく、真理は真理として自由に研究し、自由に発表することでなければならない。かくあってこそ、大学は真に国家の再建と人類の福祉に貢献し得るのであろう。政治家が、「理論人」である学者の研究と批判を喜ばず、現実政治の問題は、彼ら独自の領域であるとして、そこに学者の「立入禁止(オフ・リミッツ)」を要求しかねまじき状況である。昔ドイツに「それは理論上は正しいかもしれぬが、実際においては役に立たぬ」ということわざがある。これを現在日本の一部政治家の間の擁護をもってすれば、「それは理想としては何人も異論はないが、現実においては空論に過ぎない」ということになるでもあろうか。カントは、このドイツのことわざについて一つの論文を書いている。彼の主張の核心は、それが国内政治と国際政治の問題であろうとも、およそ「理性的根拠から理論において妥当することは、また実際においても妥当する」というにある。これはカントの有名な実践哲学の中心命題「汝為すべきが故に汝為し能う」という同じ論拠から引き出されたものである。ここに、実際政治は常に学問的真理を尊重し、それによって導かれねばならず、それを実現すべく不断の努力を傾けるところに政治家の任務があるわけである。
    −−南原繁「学問と政治」、『南原繁著作集』岩波書店、第七巻、1973年、341−347頁。

        • -

昨日は、南原繁研究会の月例研究会に参加させて頂きました。

私自身の個人研究が日本キリスト教思想史、もっと狭く限定するならば吉野作造研究になります。吉野作造と、内村鑑三門下の南原繁は、学問の師匠が小野塚喜平次と共通し、ふたりとも、新渡戸稲造から薫陶をうけたことも共通しております。

東大法学部政治学の「良心の系譜」といってよいでしょう。そして丸山眞男自身は、キリスト者ではありませんが、「心情・クリスチャン」として、その系譜につらなり、日本的問題性を「相対化」させるその視座を憧憬したといいます。

昨日は山口周三さんの近著の書評会でしたが、大いに刺激と啓発を受けたスリリングなひとときでした。

このところ、くそくだらない「銭稼ぎ」の連続で、もういやになっちゃうというのが正直な心情でしたが、真摯に研鑽される皆様の姿勢に襟を正した次第です。

今後の課題や、吉野研究の次の展望、日本キリスト教思想史における社会と宗教の関係等々……クリアになった部分があります。

短い時間ではありましたが、ありがとうございました。

また、今後ともどうぞよろしくお願いします。

筆主敬白。
 










12

南原繁著作集〈第7巻〉文化と国家 (1973年)
南原 繁
岩波書店
売り上げランキング: 973,668

南原繁の生涯―信仰・思想・業績
山口 周三
教文館
売り上げランキング: 317,341