絶望工場日記(2)


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 ごく一般的な話として、あらゆる種類の領域において全面的もしくはほぼ全面的に技術(テクニーク)が支配するとき、いたるところで悪が優勢になることは避けられない。
 技術者はかならず支配者たらんとする。自分たちこそ問題を熟知する専門家だと感じているからだ。彼らの側からみればごく正当な要請である。彼らが首尾よく支配者となりおおせたとき、その不可避の帰結である悪の責任は、彼らにやりたい放題をさせた人びとにもっぱら降りかかる。人びとが彼らにやりたい放題をさせてしまうのは、あれやこれやの技術が従属すべき個別の目的について、明晰かつきわめて厳密な構想をたえず想起するのをおこたったからに他ならない。
    −−シモーヌ・ヴェイユ(冨原眞弓訳)『根をもつこと (下)』岩波文庫、2010年、37頁。

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twのまとめの加筆訂正ですが、正直なとろなので載せておこうと思います。
※「絶望工場日記(1)」は→絶望工場日記(1) - Essais d’herméneutique

……ということで。

工場の仕事+市井の仕事が終わってから・・・・

「やっと仕事が終わった。パン工場+接客のロングラン。工場の方は、ナンというかペストリー地獄。最近、きつくて危険なところに配属されるパターンが多いけれども、新人が多くなってきたからか。2カ月で古参というのも……ここはベトナム戦争かw。さて還りますか」(私)。

そろそろ絶望工場日記その2を書かないといけないのだけれども、いわゆる工場のライン作業についてのお話。

みなさんがおそらく想像している以上に、「ひと」がそろわないとベルトコンベアのライン作業は、「仕事」にならないということに驚きます。例えば、材料を「捏ねる」のは機械でもできる。しかし、捏ね機ひとつとっても材料を投入するのは人間なんです。

捏ね機から出てきた生地をベルトコンベアで流し、ベストリーなら、それにひねりを加えるのも「人間」。それをオーブンの台に載せるのはコンベアと連結した機械だけど、バラバラになるからそれを「成形」(という)するのも「人間」。イチゴの「ヘタ」取りやケーキのサイニング添付も機械にはできない。

確かに捏ねられた材料をオーブンに入れればパンになり、ケーキの生地になります。しかし、それを順番に商品にしていくのは、機械だけでなく「人間」の存在がなければ、可能ではないという話なんです。

説明が難しいのですが、縦6列で流れてくる、捻ったあとの素材を、オーブンの台に乗せるためにに2列に「並び替える」作業が今日の担当でした。頭ではわかるのだけど、今日はこれができなかった。正直くやしいものでもある。一緒にやっていたベテランのおっちゃんは、「あれは最初からできないよ」と言うけどね。

言い方が微妙だけど、確かに、製造工場のライン作業は、「機械的」な作業。要は同じことを繰り返す。しかし、それが一番うまくできるのが「人間」であるということ。これは案外、灯台もと暗しだった感。

もちろん、立ちっぱなしなのできついのではありますがね。

( ほんとはそんなことをしている時間があれば、論文の1本でも書くべきですけど、食べていくためにはいたしかなしなのですが、……うまく表現できないけど……工場労働者はもっとリスペクトされてしかるべきだとは思いますよね 仕事していて )

僻みも入っているけど、「ぐろーばるなびじねすまん」が先験的に「エライ」訳じゃないわけよ。



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みんなの広場
生活保護問題の本質は「低賃金」
嘱託職員 64(堺市北区

 生活保護費の減額が政治議題となっています。背景には、まじめに働いているのに生活保護受給者よりも所得が低いといったことに対する怨嗟の声もあると報道されています。しかし、これは政治家や一部マスコミのデマゴギー(民衆扇動)に乗せられてしまっていると思うのです。
 生活保護制度は憲法で保障されている生存権を守るために設けられているものと理解しています。きちんと働いていながら生活保護受給者より所得が少ないとすれば、生存を維持するための賃金や報酬が支払われていないということです。問題とすべきは、生活保護制度ではなく、最低限の生活もできないほどの低い賃金や報酬、それを支えている制度です。
 まじめに働けば豊かで充実した生活が築ける賃金制度の確立こそが問題の本質だと思います。声なき弱者、少数者に怒りの矛先を向けさせ、事の本質を隠そうとするのは為政者の常とう手段です。ごまかされてはいけません。
    −−「みんなの広場 生活保護問題の本質は『低賃金』」、『毎日新聞』2013年02月20日(水)付。

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