覚え書:「悼む 病と闘いながら歌い続け=熊谷たみ子さん アイヌ民族のジャズ歌手」、『毎日新聞』2013年02月23日(土)付。




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悼む 病と闘いながら歌い続け
熊谷たみ子さん アイヌ民族のジャズ歌手
大腸がんのため 1月2日死去・60歳

1枚のCDが手元にある。東日本大震災後、被災者支援を目的に有志で自主制作した。タイトルは「大地よ」。
同じくアイヌ民族の宇梶静江さん(79)が津波地震で犠牲になった人々を思って詠んだ詩に曲をつけ、たみ子さんが日本語とアイヌ語で歌った。収録は発生から3カ月後。記録係を頼まれた私は都心の小さな庭でジャケットの写真を撮影した。たみ子さんは静江さんと寄り添い、空のかなたを見つめていた。
「命の重みを感じている日々。ささやかでも未来をつくる子どもたちの役に立てば」。たみ子さんはそう語り、売り上げを毎日希望奨学金に寄付した。
映画「TOKYOアイヌ」(10年公開)に登場する一人に「アメージング・グレース」をアイヌ語で歌うたみ子さんがいた。大腸がんを患い、4年前に再発。がんと闘うアイヌ民族の歌手の存在を知り、すぐに会いに行った。
 北海道本別町生まれ。「子どものころ、アイヌが来たと石をぶつけられてね」と記憶のふたを開けた。中学卒業後、集団就職で上京。渋谷の繁華街でスカウトされ20歳で歌手デビューした。「出した歌謡曲のレコードは売れない。心機一転、渡米してオーディションを受け、実力不足を思い知った」。帰国後、結婚し、一人娘を育てながら地道に歌ってきた。
 「がんを公表したことがある意味で転機だった」と夫の龍児さん(60)は言う。自然や神(カムイ)に感謝する先住民の精神文化を見つめ直し、アイヌ語で歌い、容体が悪化する昨秋までステージに立った。日々を精いっぱい生き、病気を乗り越えようとした。ふくよかな笑顔をみんなに向けて。【明珍美紀】
    −−「悼む 病と闘いながら歌い続け=熊谷たみ子さん アイヌ民族のジャズ歌手」、『毎日新聞』2013年02月23日(土)付。

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