覚え書:「災害と文明 エネルギー転換への視点 原発ゼロ社会を目指す=大島堅一」、『聖教新聞』2013年02月27日(水)付。




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災害と文明 エネルギー転換への視点
原発ゼロ社会を目指す

大島堅一 立命館大学教授

イデオロギーの問題でなく安全・安心の問題
根拠のない“安価神話”
費用の多くは国民が負担

◇ 日本の進むべき道
 今、日本が目指すべき社会とは、「原発ゼロの社会」です。そして、原発ゼロの社会とは、安全・安心な暮らしが約束される社会です。
 地震大国の日本では、いつ巨大地震原発を襲い、原子炉が暴走を始め、放射性物質が大量放出されるかしれません。原発ゼロの社会は、そうした危険のない社会です。脱原発イデオロギーの問題ではなく、皆が共通に望む安全・安心を実現するために必要なものです。
 私自身、経済学者として、原発をその経済性から調査・研究を続けてきましたが、福島第一原発事故といった深刻な事態に直面し、経済性やコストの問題もすべて吹き飛んでしまった感さえします。
 原発は、いったん事故が発生すれば、私たちの理解を超えて甚大な影響を及ぼすものなのです。すでに過去のものとなった“安全神話”や、「原子力は安価である」といった言説に踊らされてはならないと思います。
 原子力の発電コストが他の電力に対して安価とされる際に、その根拠となるのは、政府のエネルギー政策や原子力政策に関する審議会が発表する報告書です。福島第一原発事故以前では、2004年に発表した数値が具体的な根拠とされてきました。この報告書では、原子力の発電コストは水力や火力と比べても安くなっています。
 しかし、報告書では、発電コストを算出するための条件やデータの多くは非公開とされていたため、原子力が安い電源であるかどうか再現することができません。計算に使われている数字がどういう根拠があるものなのか、それが分からないのです。
 また、報告書では計算の際に、架空の発電所を想定し、ある期間使用した時、どの程度のコストで発電できるかという「モデルプラント方式」を用いていましたが、報告書に示された数値は、実際の原発の運転年数、設備利用率に則して算出されたものではありませんでした。実際の運転年数、設備利用率から算出される発電コストでは、原子力は必ずしも安い電源にはならないのです。
 しかも、発電コストに含まれるものは、発電に直接要する費用と使用済み燃料の処理等にかかるバックエンド費用のみで、原発に関わる政策費用としての立地対策費用、研究開発費用が含まれていません。この政策費用を含めれば、原子力は最も高い電源になります。福島第一原発事故によって多額の事故費用が生じ、原発のコストが今、見直されていますが、事故以前から原子力は最も高い電源だったのです。
 私自身の経験になりますが、2010年9月に、原子力委員会から原子力政策大綱について見直すべきかどうか、専門家として意見を聴かれることがありました。
 私は、今述べた趣旨に沿って“原子力政策大綱は見直されるべきではないか”と発言しましたが、委員長から「あなたのやっていることは研究とは言えない」という批判を浴びるというのが当時の状況でした。
 しかし、原発事故によって状況は一変したのです。

◇ 原子力政策の誤り
 なぜ、原子力は高いコストにもかかわらず利用されてきたのでしょうか。
 それは、電力会社が支払うコストは全体の一部にすぎず、政策費用の多くは国民の税金によって支払われているからです。
 その背景には電源三法の存在があります。1974年に制定された電源三法は、電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法からなるもので、当時の総理大臣の田中角栄氏が原発反対派を抑えるためにつくった法律です。これによって、原発周辺地域に多額の交付金が支給される構図ができました。
 原電開発促進税法に定められた電源開発促進税は、エネルギー政策における原子力発電の位置づけが高まるたびに、引き上げられてきました。財源が増えることで、研究開発費や、立地対策に必要な原発周辺地域への交付金が増額されました。
 経済産業省は、他の電源にも使われていると説明していますが、立地対策の7割、電源開発促進対策特別会計のおよそ3分の2が原子力に費やされています。これほどまでに原子力開発を支えるエネルギー政策は他の国では見ることができません。
 しかも電力会社は、税金から支払われる政策費用を含む全てのコストを電力料金の原価として国民に転嫁しています。
 したがって、電力会社にとって原発は安いものなのです。しかし国民からすれば最も高い電源です。
 一方で、原発の安全対策には十分なコストがかけられていなかったことが、今回の事故で明らかになりました。大事故を防ぐためのシビアアクシデント対策は国の規制によらず、電力会社の自主性に任され、周辺地域を含めた防災体制、多重防護が確保されていなかったのです。
 元GE(ゼネラル・エレクトリック社)の技術者であった原子力の専門家は、日本の安全基準はアメリカに比べ非常に遅れていると指摘しています。
 日本の安全基準は、もともとアメリカの安全基準に基づいて作成されましたが、その後、アメリカでは何度も改訂されています。しかし、日本は改訂に消極的で、その差は著しくなっています。
 原子力規制委員会では、本年7月までに新基準の法制化を目指していますが、アメリカと同等に達するには、かなり難しいのではないかと専門家は指摘しています。
 福島第一原発事故を教訓とし、最高水準の安全基準を法制化するためには、これまでの安全対策への真摯な反省と政策の転換を、コストの面からもはっきりと示す必要があるのではないでしょうか。

◇ 脱原発の潮流
私たちには将来世代への責任が

 昨年8月までに実施されたエネルギー・環境に関する意見聴取では、国民の大多数が原発ゼロ社会を望んでいることが明らかになりました。エネルギー政策を根本から転換する時がきたと言えます。
 これに対し、原発を停止することの経済への影響を懸念する人々がいますが、果たしてそうでしょうか。
 脱原発を進めれば、廃炉費用とともに、短期的には、節電、再生可能エネルギーでは補えない分、火力発電による燃料の消費が増え、これに伴う追加的な燃料費が発生するでしょう。しかし、このコストはいつまでも続くものではありません。再生可能エネルギーの比率が増加すれば、火力発電への比重は低下するからです。
 再生可能エネルギーの普及を疑問視する向きもありますが、脱原発を加速させたドイツでは、2012年の1月から6月の合計で、再生可能エネルギーが電力全体の25%に達しています。したがって、原発停止で不足する電力を再生可能エネルギーに置き換えることは、決して難しいことではなくなっているのです。
 個々では、細かな計算は省きますが、今後15年間で再生可能エネルギーに置き換える場合にかかる脱原発のコストは全体で年間平均約2兆円になると考えられます。
 一方、脱原発によって生まれる便益があります。これまで原子力政策を進めるために年間数千億円にも上っていた政策費用が節約できます。
 さらに増え続ける使用済み燃料の再処理、再処理から生み出される高レベル放射性廃棄物等の処分にかかる費用が削減され、年間2兆円近い節約が期待できるのです。原発を稼働させる費用も当然不要になりますから、全体では年間約2兆6400億円が、脱原発により節約できることになります。脱原発の便益はコストを上回るのです。
 脱原発の道へ歩み出すための転換点に、今、日本は立っています。これ以上、深刻な事故は起こすことはできません。ここで転換しなければ、日本という国自体が信用を失うことになりかねません。私たちには将来世代に対する責任もあります。たった数十年でためた放射性廃棄物を10万年先までの将来世代に押しつけることの倫理性の意味を考えなければならないと思います。
 脱原発の潮流は現在、世界にも広がりつつあります。原発事故以前には、原発ゼロを視野にすえた研究はなかったと言っていいでしょう。しかし、原発事故以降、各分野で原発ゼロ社会をテーマとした研究が始まっています。しかも、それらは経済性からも原発ゼロを推奨するものです。
 海外に目を向ければ、ドイツでは脱原発を加速させるなかで、再生可能エネルギー等の成長産業を押し上げ、経済成長を達成しつつあります。ヨーロッパ全体がそのような方向へと進んでいます。
 日本では脱原発への転換点に今、立っている−−私は、繰り返し訴えたいと思っています。
おおしま・けんいち 1967年、福井県生まれ。経済学博士。高崎経済大学助教授を経て現職。専門は環境経済学、環境・エネルギー政策論。経済産業省総合資源エネルギー調査会基本問題委員会委員等を務める。著書に『原発のコスト』(第12回大佛次郎論壇賞)、『再生可能エネルギーの政治経済学』『原発はやっぱり割に合わない』などがある。
    「災害と文明 エネルギー転換への視点 原発ゼロ社会を目指す=大島堅一」、『聖教新聞』2013年02月27日(水)付。

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