覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『マックス・ウェーバーの日本−受容史の研究 1905−1995』=W・シュヴェントカー著」、『毎日新聞』2013年03月10日(日)付。




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今週の本棚:本村凌二・評 『マックス・ウェーバーの日本−受容史の研究 1905−1995』=W・シュヴェントカー著
毎日新聞 2013年03月10日 東京朝刊


 (みすず書房・7875円)

 ◇分厚い「近代の主導者」研究の源をたどる

 この国で半世紀以上も生きてきて、多少の教養があれば、マックス・ウェーバーの名はなじみ深いのではないだろうか。来日したスイス人の宣教師は最初の年を岩手県の寒村で過ごしたが、そこでウェーバーの思想について説明を求められたという。しかし、この学者が学問の境界線を越えるほどに受容されるには、長い歴史が必要だった。

 その受容史に一つのピークが訪れたのが、一九六四年、ウェーバー生誕一〇〇年を祝う東京大学でのシンポジウムである。その年、東京オリンピックがあり、高校生の私は期末試験の準備もせずに、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読みふけっていた。十代の若者にとって、その名はトルストイドストエフスキーとそれほど異ならないものだった。偉大な学者の主著の一つを未熟な高校生が手にするような時代がすでに来ていたわけだ。そこにはどのような底流がひそんでいたのだろうか。

 ドイツ語の博士論文「日本経済史論」でも名高い福田徳三が日本人ではじめてウェーバーに言及したという(最近ではそれ以前にもあったと指摘されている)。二〇世紀初頭のことであり、ウェーバー自身が四十歳前後のころである。とはいえ、ウェーバーは存命中も死後数年経(た)っても社会科学の巨匠として欧米の学界で認められていたわけではない。ウェーバーの受容はあくまでゆっくりと進んでいった。

 だが、日本では、一九二〇年代以降、ウェーバーの広く深い影響が見られ、それは独特な形をとることになる。その背景には、幕末以後に急速な近代化がおこり、社会組織と生活態度の近代様式への適応に成功したことがある。

 日本と同様にドイツは英仏に比べて後発で産業化しなければならなかった。若きウェーバーはドイツ・東エルベ地域における農業労働者の実態調査に取り組んでいる。これらの労働者は必ずしも安定した職業にとどまろうとしなかった。その事実はウェーバーにとって驚きであり、それが彼の「資本主義の精神」研究への出発点をなす。だから、ウェーバーの受容はまず経済学者や社会政策学者の関心事だった。

 第一次大戦後、ドイツに留学した日本人学者がおり、また、経済学者K・ジンガーや哲学者K・レーヴィットのように日本滞在を決意したドイツ人学者もいた。なかでも、ナチの反ユダヤ政策で教職を追われたレーヴィットの来日は大きな影響をもたらす。彼はすでに『ウェーバーマルクス』を発表していたが、この邦訳本はこれまで43刷にまで達しているほどである。

 これをきっかけとして、マルクス主義陣営もウェーバーに取り組む。それは日本のウェーバー研究をさらに活性化させたという。その背景にはロシア革命の成功があるが、時代は世界恐慌からナショナリズム軍国主義へと傾斜していた。体制に不安をいだくリベラル派の学者たちは孤立感を深めるなかで、いわば「国内亡命」としてウェーバーの「価値自由」なる学問論にある種の慰めを見出(みいだ)すほかはなかった。それとともに、妻マリアンネによる伝記と心酔する哲学者ヤスパースの論考は「求道者」としてのウェーバー像をつくりあげるのに一役かうのであった。

 第二次大戦後の「第二の開国」が到来すると、アメリカ化の荒波とともに、マルクス主義も再生する。それに対抗する形で、経済史家の大塚久雄(かつてジンガーの助手を務めた)、政治学者の丸山眞男、法学者の川島武宜などの学者が表舞台に登場した。マルクス主義者からすれば「ブルジョワ派」であり、「近代主義者」であったが、彼らの影響は広く一般教養層におよんでいる。西洋の近代社会を範例として分析するウェーバーによりそいながら、近代日本は不完全な合理化過程として描かれたのである。その政治・法・経済・宗教をめぐる社会学には、日本社会という世界の「呪術の園」の断片を解明する手がかりがあるものとして受けとめられたのだ。

 一九七〇年ころから、日本のみならず、欧米でも、いわば「ウェーバールネサンス」がおこっている。それは近代化論や官僚制化論に取り組むなかで、ウェーバーを近代の先導者としてだけでなく、その批判者として理解しようとする。まるでニーチェがヨーロッパの学問文化の仮面を剥ぎ取っていったことの社会科学版であるかのように。

 今日、ウェーバーの著作は主著2冊『経済と社会』『世界宗教の経済倫理』にいたるまで、ほとんど翻訳されている。また、ウェーバーについて日本語で書かれた著書、論文は七〇年代にすでに二〇○○点を超えているという。まさしくわが国のウェーバー研究は特殊であるとともに、十分な厚みを誇っていい。その意味で、本書はドイツ人の手になる良質な日本文化論として読むこともできる。(野口雅弘ほか訳)
    −−「今週の本棚:本村凌二・評 『マックス・ウェーバーの日本−受容史の研究 1905−1995』=W・シュヴェントカー著」、『毎日新聞』2013年03月10日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130310ddm015070163000c.html








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