覚え書:「特集ワイド:集団的自衛権行使容認の閣議決定 ワイマール空文化、ナチスと同じ手口 三島憲一・大阪大名誉教授に聞く」、『毎日新聞』2014年07月14日(月)付(夕刊)。

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 集団的自衛権の行使容認が閣議決定されて以来、気になって仕方がないことがある。かつて世界で最も民主的とされたドイツのワイマール憲法ナチスによって骨抜きにされた歴史だ。そこから何を学ぶべきか。ドイツの政治思想史に詳しい三島憲一・大阪大名誉教授を訪ねた。【浦松丈二】

 「今から思えば、『静かにやろう』と麻生(太郎)氏が言ったのは閣議決定のことだったのでしょう。憲法改正はあきらめたが、実質は同じ。結局、狙い通りになっている」。開口一番、三島さんは麻生財務相ナチス発言に切り込んだ。

 昨夏、安倍晋三首相らが憲法改正を容易にする96条改正を目指し、改憲派からも「筋違い」と批判されていたころ、麻生氏は講演でこう語った。<静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたらワイマール憲法ナチス憲法に変わっていた。だれも気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね>

 三島さんは「そもそも『ナチス憲法』というものは存在しない」と前置きをしたうえで、指摘する。「ヒトラー内閣は1933年3月に全権委任法を成立させ、ワイマール憲法を骨抜きにしたが、憲法自体は廃止されなかった。ナチス憲法を空文化することで独裁体制を築いたのです」

 全権委任法は、憲法から逸脱する法律を公布する権限をヒトラー内閣に一括して付与した。前代未聞の法律が議会を通過したのはなぜか。直前に国会議事堂が不審火で全焼し、ナチスはこれを口実に共産党系議員を「予防拘禁」するなど反対派を徹底弾圧したからだとされる。

 「麻生氏の言うように『誰も気付かないで』変わったわけではありません。全権委任法成立は、議事運営の盲点を突いたもので、大騒ぎの中で採決されました。当時のドイツの経済状況はとてつもなくひどかった。世界恐慌(29年−)で失業者があふれていたのに、議会は小党分裂、左右対立の権力闘争に明け暮れ、機能停止状態だった。ナチスは社会の混乱に乗じ、巧みに憲法を崩していったのです」

 三島さんの専門はドイツ哲学。65年に東大を卒業した後、日独を往復して、ナチスを生み出したメンタリティーが戦後も残っていたことを長く問題視し続けたハーバーマス氏ら一群の知識人の思想を研究、紹介してきた。同氏の政治的発言集「近代−−未完のプロジェクト」を訳してもいる。

 その三島さんの目に集団的自衛権閣議決定はどう映るのか。「憲法の空文化という点ではナチスの手口と同じです。あからさまな暴力を使わないところは違いますが。ただ、国民操縦の手段はもっと巧みになっています」。厳しい口調でそう言い切った。

 戦前のワイマール憲法の空文化はナチスの独裁から第二次世界大戦ユダヤ人の大量虐殺につながっていく。私たちはその歴史から何を学び、何を警戒すべきなのか。

 三島さんはこんな説明を始めた。「ドイツの憲法にあたる基本法は第1条が決定的です。『人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し守ることはすべての国家権力の義務である』。この格調高い第1条から第19条までに表現の自由や男女平等などの基本権を定め連邦、議会制度などが続く。国家があるから憲法があるのではなく、市民の合意で憲法が作られることで国家が成立するとの思想です」。そのどこに、戦前の教訓が生かされているのか。

 「ワイマール憲法にも人権条項はありましたが、司法当局などは宣言、努力目標と受け止めていました。どんな美しい条文も、それを支える政治文化や世論が機能しなければ空文化してしまう。だからナチス独裁も起きた。この反省から人間の尊厳を1条に掲げ、条文解釈を基本権が縛る仕組みにした。さらに独立性の高い憲法裁判所を設けて、その保障を担保した。外国人でさえ行政当局に不当な扱いをされ、他の手段が尽きた時には憲法裁判所に訴えることができる。実際に多くの違憲判決が出されています」

 「一方」と続けた。「日本では『権力を縛るもの』との憲法理解が一般的です。憲法第1条は天皇条項。構成の違いも思想の違いを反映しているのです。いわば建国文書であり、憲法裁判所に守られたドイツ基本法に比べると、日本国憲法は国民の生活に根ざしたものになりにくい」

 ドイツ基本法も歴史の波にさらされてきた。冷戦下の西ドイツは、現在の日本よりはるかに厳しい安全保障問題に直面していた。55年にはNATO北大西洋条約機構)に加入し、再軍備した際は国論が二分された。

 「保守政権が推し進めた再軍備と徴兵制導入には反対の世論が吹き荒れ、兵隊になるのは嫌だと多くの人が国を出てカナダやニュージーランド、オーストラリアなどに移民しました。それでも、連邦軍設立は基本法改正を経たものであり、解釈で自衛隊を作った日本とは違う」

 ドイツ基本法は約60回改正されている。「国民は個々の条項に不満があっても、公共の議論を吸収してきた基本法を信頼している。国内の徹底した議論の成果でしょう」

 ◇公論で憲法を取り戻せ

 翻って日本はどうか。「日本では改正による再軍備は国民に抵抗感が強かったため、政権側は憲法改正を避け、解釈で自衛隊を拡充してきた。結果、現実と憲法の緊張関係は限界まで緩み、憲法9条の下に自衛隊が存在する虚構ができあがった」

 自衛権の行使を容認する閣議決定で、日本国憲法の空文化はまた、進んだ。

 「閣議決定という手続きで解釈改憲に踏み切った政権側だけでなく、護憲派にも責任があると私は考えています。9条を守ろうとするあまり自衛隊の議論を後回しにし、結果的に、空文化を招いた一面もある。憲法自衛隊に合うように改正させたら、その先なにをやられるかわからないという恐怖は私も共有していましたが、改正させてそこで『戦争をしない国家』という歯止めを作るという手段もあったかもしれません」

 三島さんは今年4月、学者らでつくる市民団体「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人になった。「憲法の理念である国民主権とは、公論を通じて実現します。声を上げ、日常生活で憲法を生かし、憲法に内実を与え続けることでしか空文化は防げない。空文化を謀る勢力に論争を挑んで憲法を国民の手に取り戻さないといけません」

 黙っていたら憲法の空文化に手を貸すことになる。それがワイマール憲法の教訓だ。

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 ■人物略歴

 ◇みしま・けんいち

 1942年生まれ。ニーチェベンヤミンらの研究で知られる。著書に「戦後ドイツ その知的歴史」など多数。
    −−「特集ワイド:集団的自衛権行使容認の閣議決定 ワイマール空文化、ナチスと同じ手口 三島憲一・大阪大名誉教授に聞く」、『毎日新聞』2014年07月14日(月)付(夕刊)。

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