拙文:「読書 社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト著」、『聖教新聞』2014年07月26日(土)付。
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読書
社会はなぜ左と右にわかれるのか
ジョナサン・ハイト著
高橋洋訳
まず直観に基づく道徳的判断
道徳的判断を下す際、それは直観ではなく理性によって導かれると、普段、私たちは考えるが、実際には逆らしい。
本書は膨大な心理実験から「まず直観、それから戦略的な思考」が立ち上がることを明らかにする一冊だ。道徳的な判断が理性的な思考にのみ基づくと考える理性偏重主義を退け、道徳における直観や常道の重要性を腑分けする。
著者は、両者を「象使いと象」の関係にたとえる。「心は〈乗り手〉と〈象〉に分かれ、〈乗り手〉の仕事は〈象〉に仕えることだ」。乗り手は、私たちの意識的思考であり、〈象〉とは、残った99%の非意識的な心のプロセスのことだ。
〈象〉がほとんどの行動を支配しているから、道徳に関する説明とは、常に理性の後出しジャンケンである。ただし、直観礼賛は本書の意図ではない。直観の裏付けのない理性の暴走も、理性の裏付けのない直観の暴走も極めて危険だ。
本書は道徳の認知プロセスだけでなく、その功罪も明確に示す。いわく「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」。集団内の紐帯としての道徳は、異なる人々との衝突をもたらすのだ。回避するには、道徳一元論を引っ込めるほかにない。
政治や宗教など異なる集団間で、見解の不一致は残るとしても、互いを尊重し合う「陰と陽の関係。を築くべきだと著者は提案する。対立的な議論が先鋭化する現代、著者の実践思考の意義は大きい。(氏)
紀伊國屋書店・3024円
−−「読書 社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト著」、『聖教新聞』2014年07月26日(土)付。
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