覚え書:「今週の本棚 沼野充義・評 『新カラマーゾフの兄弟 上・下』=亀山郁夫・著」、『毎日新聞』2015年11月29日(日)付。

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今週の本棚
沼野充義・評 『新カラマーゾフの兄弟 上・下』=亀山郁夫・著

毎日新聞2015年11月29日

河出書房新社・2052円、2268円)

現代日本舞台の「ドストエフスキー殺し」

 途方もない小説が出た。題して『新カラマーゾフの兄弟』。ドストエフスキーの代表作のタイトルに「新」をつけた。分量も原作に匹敵する巨大なもので、上下巻あわせて一四〇〇ページを超える。ロシアの文豪の向こうを張って、世界文学の頂点の一つとして知られる古典の続編を書こうなどということ自体、あまりに大胆不敵、冒〓(ぼうとく)的と言ってもいいことだろう。原作は周知のように、カラマーゾフ家の父殺しをめぐる作品だが、この小説は亀山氏による「ドストエフスキー殺し」ではないか。原作者と一騎打ちをし、超えようとしているからだ。

 とはいえ、続編を書く根拠はもともと原作の中にあった。『カラマーゾフの兄弟』の序文には、一三年後のカラマーゾフ家の三男、アリョーシャを主人公とした「第二の小説」がある、と宣言されていたのだ。しかし、ドストエフスキーはそれを一行も書かないうちに世を去ってしまった。当然、多くの読者の想像力を刺激し、ソ連時代の研究者の中には、続編でアリョーシャは革命家になって皇帝暗殺計画に加わり、断頭台にのぼる予定だった、とまではっきり主張する者(グロスマン)もいた。

 最近の日本でもすでに、目が覚めるような謎解き推理小説仕立ての高野史緒カラマーゾフの妹』(講談社)と、三田誠広による、ある意味では正攻法ともいえる続編『偉大な罪人の生涯−−続カラマーゾフの兄弟』(作品社)という先例があるのだが、ここにいたっていよいよ真打ち登場という感がある。なにしろ亀山氏は「古典新訳」によってドストエフスキーの新たなブームに火をつけたロシア文学者であり、彼の新訳『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)は時ならぬベストセラーになったほどなのだ。同氏は『罪と罰』『悪霊』『白痴』も次々に新訳したうえ、ドストエフスキーに関する本を旺盛に書き続けてきた。まさにロシアの作家が乗り移ったかのような、破竹の勢いだ。

 ただし、先行する二作品が原作当時のロシアを舞台にしているのに対して、亀山版『新カラマーゾフの兄弟』は舞台を日本に移した一種の翻案である。時代設定は一九九五年九月。少し前に阪神淡路大震災地下鉄サリン事件があって、きなくさく、世紀末的な雰囲気が濃厚に漂っていた頃。物語はその一三年前の実業家黒木兵午の変死の謎をめぐって、黒木家の三兄弟、ミツル、イサム、リョウと、黒木家のホテルの元従業員、須磨幸司を中心に展開する。これらの名前はすべて原作の登場人物を容易に連想させるものだ。黒木という姓も、「カラマーゾフ」が語源的に黒を意味するところから来ている。女性関係の人物配置も原作をかなり忠実になぞっているし、ゾシマ長老に相当する嶋省三というコミューンの指導者まで登場する。そして彼に後継者として信頼された黒木リョウは、最後には「皇帝暗殺者」ではなく、新興宗教教団の指導者となる。

 しかし、これは原作の単なる現代日本への置き換え(アダプテーション)ではない。この作品の構成上の特異な点は、このような物語本体と並行して、Kという人物の手記が挿入され、それが物語本体の登場人物と接点を持ち、絡み合っていくということだ。Kはロシア文学を専攻する東京外大の助教授で、恩師のX先生(モデルはロシア文学者の原卓也氏)の厳しい評価に傷つき、ソ連で警察に拘留され、不動産の価格に異様に関心を持つといった人物になっており、この部分には濃厚に「私小説」的な要素が認められる。

 そのすべての背後霊のように、ドストエフスキーその人の声も響いてくる。つまり、本書は、神話的原典と、それを現代日本で換骨奪胎した物語本体と、私小説的逸脱の三層が絡み合うというユニークな構造になっていて、その意味では原作を離れた(超えた、とは言わないが)、独自の作品なのだ。一九世紀末のロシアは、革命運動が激化し、テロが日常化し、皇帝暗殺まで起こる一方で、世紀末芸術が爛熟(らんじゅく)し、オカルトが流行した。その中でドストエフスキーは、苦悩しながら神を求め続けたわけだが、亀山作品は神なき時代、父なき時代の『カラマーゾフの兄弟』である。

 予言者ドストエフスキーが描き出した人間の救いがたい激しい情欲、金銭欲から、信仰、神の問題まで、すべてがここに引き継がれているのだが、そのすべてが十分に深く扱われているとは言いがたい。巨大な作品だが、扱うべき問題のほうがさらに巨大だからだ(その点では村上春樹の『1Q84』に似ている)。ただし、新たな試みが必要であることを雄弁に示したのは、本書の大きな手柄だろう。かつて、アメリカの作家カート・ヴォネガット・ジュニアは自分の小説の登場人物に、「人生について知るべきことは、すべて『カラマーゾフの兄弟』の中にある。だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」と言わせている。その通り。だからこそこの小説が書かれなければならなかったのだ。
    −−「今週の本棚 沼野充義・評 『新カラマーゾフの兄弟 上・下』=亀山郁夫・著」、『毎日新聞』2015年11月29日(日)付。

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