覚え書:「文化の扉:はじめての寅さん 人情深く明快、生き方の理想像」、『朝日新聞』2016年01月17日(日)付。

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文化の扉:はじめての寅さん 人情深く明快、生き方の理想像
2016年1月17日

はじめての寅さん<グラフィック・白岩淳>
写真・図版
 「正月映画」の顔だったフーテンの寅さんが銀幕から消えて20年になる。各地の祭礼を訪ね、放浪の旅を続けた彼は一体何者だったのか。そしていま、どこを旅しているのだろう。

 映画「男はつらいよ」の世界を再現した「葛飾柴又寅さん記念館」(東京都葛飾区)。今年正月三が日の来館者は約5200人。昨年より約2千人増えた。特に若い人の姿が多かったという。

 「人情深く、明快な生き方をしている寅さんに理想の大人像を見いだしているのでは」と娯楽映画研究家の佐藤利明さんは話す。2011年には寅さんのファッションに焦点を当てた女性誌が発行された。

 原作者の山田洋次監督によると落語の「熊五郎」という名前を検討したが、威勢のいい「寅」に。秀才の兄がいて次男坊だから「寅次郎」になった。「轟(とどろき)」という姓も考えたが、語感が強すぎるので「車」一つにしたという。

 テレビ版「男はつらいよ」の最終回。寅さんは旅先の奄美大島でハブにかまれ死んでしまう。「自由奔放な生き方を、管理社会は許さないのだと主張したかった」と山田監督。抗議の電話が殺到し、映画になってよみがえった。

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 寅さんの仕事はテキヤ香具師〈やし〉)である。正月の神社で、夏祭りの夜店で、威勢のいい言葉を繰り出し、商品を売っていた。だが雨が降れば雨に泣き、風が吹けば風に泣く。明日をも知れぬ身である。

 国民的映画として人気が定着したころ。山田監督は作家の遠藤周作さんと「晩年の寅さん」について対談したことがあった。そのとき、「幼稚園の用務員はどうだろう」ということになった。寺の境内で園児らとかくれんぼしているうちにポックリ息を引き取り、本堂の軒下あたりで見つかるというストーリーだ。町の人たちは地蔵を建てる。名づけて「寅地蔵」。御利益は、縁結びだそうである。

 くしくも、幻の49作目のロケ地候補だった高知県安芸市には「寅さん地蔵」が建立されている。

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 渥美清さんがかつてこんなことを言っていた。「車寅次郎という男は、本当はいたんじゃないか」

 01年夏。柴又八幡神社古墳からシルクハット型の帽子のようなものをかぶった人物埴輪(はにわ)が見つかった。帽子の形や細い目などが寅さんにそっくりだった。しかも奈良時代、現在の柴又周辺には「刀良(とら)」という男性と、別世帯ながら同姓の女性「佐久良賣(さくらめ)」が住んでいたことが正倉院の戸籍に記されている。

 もちろん偶然だ。だがあまりの符合に「不思議な因縁を感じます」と山田監督は語る。戦時中も柴又には「兵隊寅さん」と呼ばれた人がいた。「世の中、窮屈になって、大きくなるのはちくわの穴だけヨ」。兵隊が出征するとき、そんな調子で演説したという。

 さまざまな人たちが柴又には暮らしていた。悪口を言い合い、ときにけんかをしながらも、楽しく過ごせる家族や仲間が、寅さんの周りにはいたのである。(編集委員・小泉信一)

 

 <読む> 津市在住の映画評論家・吉村英夫さんの「山田洋次と寅さんの世界」(大月書店)は東日本大震災後を見据えた映画論。映画作家としての山田監督の軌跡も丹念に追っている。

 <訪ねる> 葛飾柴又寅さん記念館(03・3657・3455)は京成電鉄柴又駅から徒歩8分。開館は午前9時〜午後5時。入館料一般500円、児童・生徒300円。併設の山田洋次ミュージアムも入場できる。休館は第3火曜。

 柴又駅前には四角いトランクをさげたフーテンの寅像が立つ。旅に出ようとする寅さんが、妹さくらの声で振り返った場面をイメージした。

 

 ■他人のため骨折る菩薩 精神科医名越康文さん

 東京の原宿で寅さん映画を上映するイベントがあり、一日館長を務めたことがあります。若者が多く、人気が世代を問わないことを改めて実感しました。

 寅さんは、ほれた女性に底抜けに優しい。ですが、まともな暮らしをしていないことを知っています。僕は女性を幸せにできないというのが苦しい結論。だから最後に身を引く。「人間は結局幸せになれないのでは」。山田洋次監督からの永遠の問いかけのような気がします。

 「基底欠損」という心的な問題を抱えているようにみえるのが寅さんです。人格の基礎がつくられる幼少期、家庭的な安心を経験できなかったため愛情関係を保つのが難しいのです。が、「お天道様が見てるぜ」と慰め、幸せに導いてくれることさえあります。矛盾を抱えながらも苦悩する者のために骨を折る。そういう意味で寅さんは現代の菩薩(ぼさつ)ではないでしょうか。

 ◇「文化の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「弥生時代」の予定です。ご意見、ご要望はbunka@asahi.comメールするへ。
    −−「文化の扉:はじめての寅さん 人情深く明快、生き方の理想像」、『朝日新聞』2016年01月17日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12163228.html





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