覚え書:「学校と私:教えられた歴史を見る目=小樽商科大教授・荻野富士夫さん」、『毎日新聞』2016年02月08日(月)付。
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学校と私
教えられた歴史を見る目=小樽商科大教授・荻野富士夫さん
毎日新聞2016年2月8日 東京朝刊
荻野富士夫(おぎの・ふじお)さん
実家は埼玉県北東部にある旧菖蒲町(現久喜市)の兼業農家です。父親は保険外交員、母親は米や野菜作りをし、私は4人兄弟の末っ子でした。稲刈り後の田んぼで野球をし、夏は荒川の支流の川で泳いで暑さをしのぎ、魚捕りをして遊びました。当時は珍しい光景ではありませんが、ゲームや塾通いに追われる今の子どもとは随分違いますね。
地元の小中学校で学んだ後、県立浦和高校に進学しました。校舎は旧制中学時代からの木造2階建て。窓ガラスには旧制中学を示す「中」の文字が残っていました。生徒の間で先生を「さん付け」で呼ぶのに驚きました。自由な雰囲気にカルチャーショックを受けました。
先生方は多彩でした。国文学者・歌人の折口信夫の教え子という古文の竹内栄一先生、工芸では人間国宝になった彫金家、増田三男先生もいました。今では高校2年になると、進学希望に応じて理系と文系にクラスが分かれますが、当時は3年間、文理が入り交じったクラスでした。文系の私は数学3や物理の勉強に苦労しましたが、いい経験でした。同学年にはロックバンド「ゴダイゴ」のメインボーカル、タケカワユキヒデさんもいました。
思い出に残っているのは世界史の桐山一隆先生です。受験参考書の著者としても有名です。ペン1本持って教室に現れ、教科書に載っていない話によく脱線しました。私が歴史好きと知った先生から「君はどんな歴史が好きかね」と聞かれたことがあります。「ナポレオンが破竹の勢いで勝ったところ」と答えると、一笑に付されました。「挫折から立ち直るところが一番大切ではないかな」と諭されました。似た経験は大学でもありました。「司馬遼太郎が好きだ」と言った私に、指導教官の鹿野政直先生は「歴史は日が当たるところばかりを見てはだめ。多面的に全体像を見るようにしなさい」と助言してくださいました。2人の恩師の言葉が歴史研究者になるうえで生きたと思います。
高校時代に個性的な先生と出会い、受験勉強だけではないさまざまなことを学べました。そのことが、その後の私の人生の糧になったと思います。【聞き手・千々部一好】
■人物略歴
1953年埼玉県生まれ。早稲田大卒。小樽商大助教授、93年から同教授。専門は日本近現代史。主な著書に「特高警察」「思想検事」(いずれも岩波新書)。
−−「学校と私:教えられた歴史を見る目=小樽商科大教授・荻野富士夫さん」、『毎日新聞』2016年02月08日(月)付。
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