覚え書:「今こそ牧野富太郎:植物1500以上の名付け親」、『朝日新聞』2016年04月25日(月)付。

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今こそ牧野富太郎:植物1500以上の名付け親
2016年04月25日

 自らを「植物の愛人」と称した研究者は、他を一切顧みず、一生を草木に捧げた。

 牧野富太郎の名は、ある年齢以上の人にはなじみがあるのではないか。「日本植物学の父」と呼ばれる研究者。文化人としても知られ、危篤の際は自宅前にメディアがテント村をつくった。

 牧野は文久2(1862)年、高知県中部の造り酒屋の息子として生まれた。植物が大好きで独学で勉強し、やがて東京帝国大学に出入りを許されて、日本の植物の総目録を目指した『日本植物志図篇』などを刊行した。

 牧野がすごかったのは、これらに収録する植物の図をほとんど一人で描いたことだ。その細かさは「1ミリの幅の中に7本の線が引かれていた」(高知県立牧野植物園教育普及課長の里見和彦さん)ほどで、ロシア植物学の権威マキシモビッチから「非常に正確である」と絶賛された。

 牧野が研究を始めたのは、日本の植物学の揺籃(ようらん)期だった。彼はこの分野の先達として、次々と学名をつけていく。その数1500以上。標本も40万枚を超える。

 論文のほか単行本なども執筆し、90歳を超えてなお午前2時就寝という暮らしを続けた。「独自のスタイルで、本当に大きな仕事を残された方だと思います」と里見さん。

 だが、このことは学問最優先で他を顧みないことにもつながった。こだわったのが本だ。書店に入ると店員を呼んで一緒に歩かせ、店員が抱えられなくなるまで何度も何度も取り出させるような買い方をしたと言われている。

 高知県立牧野植物園にある牧野文庫に収められたのは蔵書など約5万8千点。次女の鶴代さんは牧野の自叙伝で、本の収納のため大きな家に入居し、家賃が払えずに引っ越す繰り返しだったと明かしている。一時は借金が3万円(現在の1億円くらい)を超え、そのカタに標本が売却されるところを資産家の大学院生に肩代わりしてもらった。

 だが、それでも卑屈にならないのが牧野のすごいところだ。「(自分は)わが愛人である草木と情死し心中を遂げる事になる」「(私のような天才は)私の死とともに消滅してふたたび同じ型の人を得る事は恐らく出来ない」などと豪語。常に冗談を言って、周囲を笑わせた。

 いま、彼のような研究者はほとんどいない。しかし、牧野は生前多くの人に迷惑をかけながらも受け入れられ、危機には救いの手が差しのべられた。それは好きなことに打ち込んで一生を捧げる彼の生き方を、周囲の人間が、社会が許容していたからだ。型破りの天才を育てるとは、そういうことではないか。

 文部科学省の調査によると、大学教員の年間研究時間は2013年までの11年間で1年あたり約400時間も減った。かわって増えたのが講演などの「社会サービス」の時間だ。だが、牧野は研究と同じくらい普及にも力を入れ、同好会の指導で全国を飛び回っていた。牧野富太郎研究所を主宰する漉川葵人(こしかわきじん)さんは「彼の培った生涯学習の精神を私たちは将来へ伝えていくべきではないか」と語る。

 牧野は最近、「植物と共に生きた人」として、小学校の道徳の教科書でとりあげられるようになった。

 岡山市の福浜小学校では、牧野にならい、子どもたちに植物標本を作らせ、植物画も描かせている。「こんなに時間がかかるのに40万枚も標本を作ったなんてすごい、信じられないって、皆が驚くんです」と担当の永井貴憲教諭。

 確かに、一つのことに打ち込む尊さを学ぶのに牧野以上の人物はいないだろう。

 (編集委員・宮代栄一)

 <足あと> まきの・とみたろう 1862年、現・高知県佐川町で生まれた植物学者。独学で植物学を学び、ムジナモなどの新種を含む約40万枚の植物標本を収集して『牧野日本植物図鑑』などに結実させた。気さくな人柄で俗謡の都々逸(どどいつ)を愛し、各地で植物同好会を指導した。1937年、朝日文化賞。51年、第1回文化功労者。57年、94歳で死去。死後、文化勲章を追贈された。

 <もっと学ぶ> 牧野の著書は多い。読みやすいのは『牧野富太郎自叙伝』(講談社学術文庫)。一方、高知新聞社編『MAKINO』(北隆館)は著名なエピソードを交えつつ、その生涯を生き生きと描く。

 <かく語りき> 「私は生まれながらに草木が好きであった。(略)これから先も私の死ぬるまでも疑いなく私はこの一本道を脇目もふらず歩き通すでしょう」(『牧野富太郎自叙伝』から)

 ◆次回は5月2日、急死した異能のロックミュージシャン、プリンスの予定です。

 1971年神奈川県生まれ。東京大大学院博士課程単位取得退学。博士(社会情報学)。筑波大講師など経て現職。著書『嗤(わら)う日本の「ナショナリズム」』『広告の誕生』など。
    −−「今こそ牧野富太郎:植物1500以上の名付け親」、『朝日新聞』2016年04月25日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12327088.html





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