日記:『人間革命』における「教育勅語」記述の変化

いろいろと気になることがあり、自分でも確かめてみましたが、牧口常三郎が、「教育勅語、あれは最低のものです」とかたった言葉が「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」と改変されている。「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」には、端的に言えば、解釈として教育勅語を「ヨイショ」する「余白」がのこされた記述なのだけど、こう改変することは、牧口常三郎が「教育勅語」に「殺された」ことを「鬱陶しい」と考える勢力が創価学会のなかで力を持っている方々の中にいるという話ですかね(呆

1.
 森川幸ニは昭和十六年の入信であった。十七年十月、男の子の一人が亡くなった時、初代会長牧口常三郎がわざわざ葬儀に来て、初めて牧口を知った。彼の弟も入信し、早くから幹部と目されていた。十八年六月、創価教育学会弾圧の折、弟は神奈川で検挙された。だが、家庭の信心の破綻から忽ち退転して出所した。以来、神奈川方面は、終戦になっても、学会との絆は、ぷっつり途絶したままになっていた。
 幸ニの長男一正は、激変する社会の荒波に、目標を失っていた戦後の青年である。
 彼は、少年の日、一、二度会った牧口常三郎を想い出していた。牧口が父たちに向かって、「教育勅語、あれは最低のものです」というのを聞いた時の驚きを、少年の頭脳は覚えていたのである。なんの話題につながる話か、それはきれいに忘れたが、牧口のこの一言は消えなかった。
 戦後、教育勅語が最低という意味を現実に知った時、一正は−−最高の御本尊が家にはある、と気がつきはじめたのである。

2.
 幸ニの長男一正は、激変する社会の荒波に、目標を失っていた戦後の青年である。彼は、少年の日、一、二度あった牧口常三郎を想いだしていた。牧口が父たちに向かって、「教育勅語、あれは最低のものです」というのを聞いた時の驚きを、少年の頭脳は覚えていたのである。なんの話題につながる話か、それはきれいに忘れたが、牧口のこの一言は消えなかった。
 戦後、教育勅語が最低という意味を現実に知った時、一正は、最高の御本尊が家にはある、と気がつきはじめたのである。

3.
 牧口が父たちに向かって、「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」と言うのを聞いた時の驚きを、少年の頭脳は覚えていたのである。なんの話題につながる話か、それはきれいに忘れたが、牧口の、この一言は消えなかった。
 戦後、敗戦の辛酸のなかで、教育勅語が道徳の最低基準という意味を現実に知った時、一正は、最高の教えの根本である御本尊が家にはある、と気がつき始めたのである。

(出典)1.池田大作『人間革命』聖教新聞社、1967年、284−285頁。2.池田大作『人間革命』聖教文庫、2000年、276−277頁。3.池田大作『人間革命』聖教ワイド文庫、2013年、300−301頁。




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