覚え書:「憲法を考える 施行70年 国民あっての憲法論議」、『朝日新聞』2017年05月03日(水)付。

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憲法を考える 施行70年 国民あっての憲法論議
2017年5月3日

 改憲を志向する政治勢力が国会で3分の2を超える。そんな時代のあるべき憲法論議とはどういうものか。主権者である国民が置き去りにされたまま、国会での議論が進もうとしてはいないだろうか。(編集委員・国分高史)

 

 ■まず統治の仕組み、再考を

 「憲法は国の未来、そして理想の姿を語るもの。新しい時代の理想の姿を描いていくことが求められている」

 安倍晋三首相は4月26日の日本国憲法施行70周年の記念式で、憲法改正への意欲を改めて示した。

 首相に賛同する「改憲勢力」は、両院で改憲案の発議に必要な3分の2を超える。民進党改憲そのものは否定しておらず、改憲論議は具体性を帯びながら進められていくことになるだろう。

 自民党が想定しているのは、緊急事態条項とそれに伴う議員任期延長の特例新設や、日本維新の会が掲げる幼児から高等教育までの無償化などだ。これらのメニューの中から、野党や国民の合意を得られそうな項目を絞り込んでいきたい考えだ。

 だが、ここに並ぶ項目はいずれも「改正をしなければ国民の自由や権利などを保障できない」という説得力に欠ける。改憲そのものが目的になっていることの表れだ。

 日本国憲法は70年間、一度も改正されなかった。憲法論争の中心が9条だったこともあるが、憲法の条文が全体として抽象度が高いことも影響している。

 ドイツやフランスは憲法改正を重ねてきたが、政府や議会など統治機構に関する規定が日本とは違って憲法に細かく規定されていることも理由のひとつだ。

 日本でもこれに匹敵する改革が、憲法に付属する国会法や内閣法、公職選挙法などの改正によって行われてきた。衆院小選挙区制導入や政党助成制度の創設、中央省庁の再編や内閣機能の強化などがそれにあたる。

 これらの改革は二大政党化を促し、2009年には政権交代が実現した。首相が指導力を発揮しやすい環境もととのえられた。その半面、選挙結果が時々の風に大きく左右されることや権力の一極集中の弊害も目立ってきた。

 一方、衆参両院で多数派が異なる「ねじれ」になると政治がとたんに立ちゆかなくなることや、国会審議が形骸化していることへの対処は手つかずだ。

 憲法と付属する法による統治の仕組みは、国民の意思を反映させるのに最適なのか。国会は自らを律する改革を怠ったまま、いたずらに憲法改正に走ろうとしているのではないか――。

 浮かんできたこうした問いをもとに、統治機構、とりわけ国会にかかわる論点を考えてみた。

 

 ■解散権 「首相の専権」弊害も

 昨年は解散風が2度吹いた。夏の衆参同日選と年明けの衆院選をにらんだものだ。

 結局は見送られたが、衆参の相乗効果で票の上積みを図りたい、選挙区割りの変更前に選挙をすませたいといった、与党の思惑が先行しての解散論だった。

 安倍首相は14年11月、消費税率引き上げを先送りする判断の是非を問うとして衆院解散に踏み切った。野党の準備不足を見越しての任期半ばの解散には、党利党略との批判が出た。

 憲法69条が規定する内閣不信任案の可決によらなくても、内閣は天皇の国事行為を定めた7条によって解散できる。これが憲法解釈の通説だ。7条解散は、政界では「首相の専権」との位置づけが定着している。

 一方、イギリスは11年の議会任期固定法で解散を制限。下院の3分の2以上の承認などが必要になった。保守党と自民党の戦後初の連立政権のもとでの安定した政治を実現する狙いがあり、当時のキャメロン政権はその後の5年間で財政再建に一定の成果を上げた。

 こうした流れを受け、3月の衆院憲法審査会で民進党枝野幸男氏は「議会の少数派に対してさらに優位性を強める解散の仕組みは、有害である可能性すらある」と主張。

 参考人の木村草太・首都大学東京教授も「党利党略を抑制するため、解散権に何らかの制限をかけるのが合理的だ」と述べた。

 総選挙は有権者の意思表明の重要な機会であるし、首相が「伝家の宝刀」を持つことが政治に適度な緊張感を与えてきたことは確かだ。

 ただ、3年ごとの参院選の間に不定期に衆院選がはさまる頻繁な国政選によって、消費税率の引き上げなど、不人気な政策が次々に先送りされるといった弊害も大きくなっている。

 90年代の政治改革や00年代以降の内閣機能の強化で首相に権限が集まる中、自由な解散権を温存するのは権力の過剰な集中になるとの見方も出てきた。

 これらのバランスをどうとっていくか。野党だけではなく、憲法学や政治学の立場からも憲法論議の一環として検討するにふさわしいと声が強まっている。

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 <解釈で当初論争> 1948年、第2次吉田茂内閣は7条で新憲法下初の解散に踏み切ろうとした。だが、野党とGHQは「7条による解散は天皇主権の発想だ」として69条以外の解散はできないと主張。解散権をめぐる憲法論争が起きた。

 結局、与野党合意のもとで野党が出した不信任案を可決して解散したため、「なれ合い解散」と呼ばれた。

 第3次吉田内閣は主権回復後の52年、国会召集直後に7条に基づく解散を断行。こんどは「抜き打ち解散」と称された。

 これについて朝日新聞は社説で「7条に基づき政府が一方的に解散しうる前例を開いた。これはイギリス流の議院内閣制をとる以上は当然のこと」と評価した。

 一方、失職した苫米地義三・前議員が「解散は違憲」と提訴したが、最高裁は60年に「解散のように政治性の高い行為は裁判所の審査権の外にある」と判断を避けた。

 このころには7条解散を認める憲法解釈が主流になり、論争も収束。86年には中曽根康弘内閣の「死んだふり解散」による衆参同日選が批判されたこともあったが、解釈はそのまま現在にいたっている。

 

 ■参院改革 地方代表なら権限は

 一票の格差是正のため、昨夏の参院選で県をまたぐ「合区」ができた。11月の参院憲法審査会では「都道府県の代表で構成する参院憲法に明記すべきだ」と、改憲による合区解消の声が自民党から続出した。

 参院議員を都道府県代表とするなら、両議院は「全国民を代表する」とした43条との矛盾を解消しなければならないし、衆議院とほぼ同じ権限のままでいいのかとの議論も出てくる。

 2月に自民党憲法改正推進本部に招かれた上田健介・近畿大法科大学院教授は「(地方代表性を認めて)投票価値の平等を弱めるならば、それに相応して権限を弱めなければならない」と話した。ただ、国政全般に関する権限を弱めることには参院議員の抵抗が根強い。「参院不要論」につながりかねないからだ。

 公明党の西田実仁氏は参院憲法審で「国民主権参院改革の基本的視点であり、衆院議員も参院議員も全国民の代表という性格付けが適切だ」と主張した。 そもそも参院は、GHQが1946年に政府に示した憲法草案にはなかった。政府は「抑制機関としての第二院が必要だ」と主張して参院を認めさせた。

 しばらくは会派「緑風会」を舞台に無所属議員らが独自性を発揮していたが、全国区の廃止(82年)や1人区の増加で党派化が進んだ。「衆院カーボンコピー」との批判は絶えず、超党派議連が衆参統合して一院制とする改憲案をまとめたこともある。

 

 ■国会審議 「事前審査」で形骸化

 国会は、国権の最高機関にふさわしい審議をしているのだろうか。国論を二分する重要法案でも議論は尽くされず、与党は採決強行を繰り返す。選挙制度は変わっても審議のありようはほとんど変わらず、形骸化も指摘される。

 その原因は、与党による内閣提出法案の事前審査だと大山礼子・駒沢大教授は指摘する。

 大山氏によると、日本は議院内閣制にしては国会の権限が極めて強い。政府は制度的には国会運営に関与できず、法案提出後は原則として修正の権限もない。

 このため、成立を確実にしておきたい政府と自由に意見を言いたい自民党の思惑が一致して国会提出前の審査が始まり、70年代に定着した。実質審議はそこですませてしまうので、与党は国会ではひたすら原案通りの成立をめざす。

 欧州ではしばしば議会制度が改革される。曽我部真裕・京大教授によると、例えばフランスは2008年の憲法改正で野党提案の法案審議に一定の日程を割くなどの議会改革を盛り込んだ。曽我部氏は「欧州では政治制度のあり方を議論し、民主主義を進化させていこうという意識がある」という。

 法案の逐条審査や議員間の自由討議の実施、会期不継続の原則の撤廃など、日本では法や規則の改正だけでも審議の充実を図れるのに、改革の機運は乏しい。宍戸常寿・東大教授は「国会での決定を、国民が自分のものとして納得するためには、審議の質を高めることが必要だ」と話す。
    −−「憲法を考える 施行70年 国民あっての憲法論議」、『朝日新聞』2017年05月03日(水)付。

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