日記:歩きながら考える「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」



 明らかに前輪の様子がおかしいので、仕事の帰りにサイクルショップ寄ろうと考え出勤してすぐに、自転車がパンクした。職場に連絡してから、自転車を押して7キロほど強歩。今日は猛暑日で、「残暑が厳しい」というほどの生やさしさでは到底ないほどのギラギラと照りつける日差しをモノともしなかったのは、おそらく常日頃からの鍛えのたまものだ。
 行きつけのサイクルショップで、前輪のタイヤとチューブを交換、どうやら1カ月前に交換したタイヤの初期不良らしい。無償で行ってもらいラッキーだった。作業が済んでから、スタッフの方と少々雑談。自転車乗りなのに自転車について詳しくない。部品の交換のタイミングや自転車のバージョンアップなど、専門家の意見には「目から鱗」で驚いてしまった。
 荷物を積めないクロスバイクでの移動が日常生活の基本だから、「対面販売」を伴う買い物はあまり利用しない。だから、書籍やデジタルガジェットのほか、衣類に関してもネット通販で購入するケースが必然的に高くなる。生協など加えれば「対面販売」を全く利用しなくても事済むという話はまんざらウソでもないだろう。
 買い物全般について、専門の販売員に聞かなくても、ある程度のことは専門書を読んだり、適切な優良サイトで調べれば済むのも事実だ。それでも、サイクルショップでのたかだが3分程度の雑談は、「それが事実だとしても、全てではない」というもう一つの事実を召喚したのだ。
 たしかに、自分で全てを済ませることは不可能ではなく事実だ。しかし、それでも「通じている人に聞いてみる」ということの意義は大きく、自分で調べる以上の意味を持っているのも紛れもない事実である。
 「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」という孔子の言葉がある(『論語』為政第二・一五)。要は「学んで、その学びを自分の考えに落とさなければ、身につくことはない」のだが、同時に「いくら自分で考えても人から学ぼうとしなければ独断専行になって危険である」との意だ。これは学問にだけ限定される話ではない。



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