覚え書:「記者の目:北杜夫さんを育てた旧制高校=澤圭一郎(東京社会部)」、『毎日新聞』2011年11月25日(金)付。






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記者の目:北杜夫さんを育てた旧制高校=澤圭一郎(東京社会部)

 ◇今こそ「教養教育」が必要だ
 「学校の勉強以外で教師や友人と深く触れ合ったのが、旧制高校でしたね。私は松本高校(長野県松本市、現信州大)に入ったことが人生の転機になり財産になったと思っているんです」。先月24日に84歳で亡くなった作家の北杜夫さんにインタビューした時の言葉を、今も口調とともにはっきり覚えている。毎日新聞の教育のページで今も続く「学校と私」のコーナーで、高校時代の思い出を話してもらった。その生活を描いた著作「どくとるマンボウ青春記」(1968年出版)には、旧制高校の教養教育や教師と生徒の触れ合いが、ユーモラスなエピソードとともに描かれる。その描写を暗記するほど読み、憧れて大学に進んだ私は「そんな教育こそが必要ではないか」と今、思う。
 旧制高校は1894年に高等学校令により正式に設置され、一高(現東京大)から八高(現名古屋大)のナンバースクールや新潟や松本の地名がついた高校、武蔵や成城といった私立高もあった。当時の日本のリーダーを輩出したが、戦後、学制改革で1950年に廃止され、新制大学に切り替わった。

 ◇本を読み議論し生き方を考える
 大半が3年制で、1学年200人程度の男子校。寮生活が基本にあり、落第もある厳しさだったが、旧帝大とほぼ同じ定員で、卒業後は帝大に進学できた。今の比ではない受験競争を勝ち抜いたスーパーエリートの学校だったが、生徒は「善の研究」(西田幾多郎)など古典的名著のほか、国内外の本をしっかり読み、生徒同士で議論し、教授と問答をしながら、人生の意味や社会の中で人はいかに生くべきかを考える「教養教育」が施された。これぞ学校の神髄であると思う。
 「青春記」を読んで私が信州大学に進んだ当時(85年)、大学にはまだ教養部というものがあり、1、2年はこの教養部に属して語学や哲学、自然科学を学ぶ仕組みになっていた。旧制高校の残り香があれば、大学教養部はひょっとして私を満足させてくれるかもしれぬと期待を抱いたが、これは見事に裏切られた。教養部の授業は高校の授業の焼き直しにしか思えず、教授も「青春記」に出てくるような人物はいなかった。
 私の感覚は正しかったようで、91年には大学設置基準が緩和され、専門教育の充実を旗印に、東大など一部を除き、教養部は解体してしまった。失敗したのである。当時、4割に上る進学率で大衆化した大学の限界と、専門教育を上位に見て教養を軽視した大学内の事情など、さまざまな要因が重なったことが理由だ。
 以前、コラムで旧制高校復活論を唱えたら、全国から賛意のお便りを頂いた。「『よく学び、よく遊べ』を実践していた学校だった」と懐かしむ手紙もあった。中でも、旧制高校出身者らで作った「日本の教育改革を進める会」(西澤潤一代表)のメンバーからは「ぜひ、良かった点を今の教育に復活させたい」と連絡を頂いた。同会は97年から09年まで活動を続け、専門だけにとらわれない幅広い基礎学力と人格形成に徹した教育をする「教養大学」の創設など、7次にわたる提言をまとめて文部科学相らに提出している。メンバーの一人で、旧制浪速高(現大阪大)卒業生の藤田宏・東京大名誉教授は「今はリーダーを育てる教育が失われている。旧制高校の良さを生かし、ロマンを持った若者を育てるべきだ」と話す。

 ◇実学偏重を改め本当のゆとりを
 一部では具体化している大学もある。秋田県雄和町(現秋田市)に04年に開学した国際教養大は、英語を基本とした授業や1年間の寮生活、留学、幅広い教養科目の履修など、今の時代に即した教養重視の教育を実践し、評価が高い。国際基督教大(東京都三鷹市)も語学と教養重視の学校だ。
 今、中学でも高校でも「受験に関係ない」という理由で、人間の幅を広げる勉強がおろそかになっていないか。あるいは「実学志向」で、すぐに役立つ勉強偏重になっていないだろうか。受験にしても就職活動にしても、その対策に追われるばかりで、ゆっくりと本を読んで議論するような時間が少なすぎる。世間の不評を買ったが、本当の「ゆとり教育」とはそういうことではなかったか。どのような人材を育てるべきなのかを考えたとき、北さんの「青春記」に描かれる旧制高校の教育には、大きなヒントがあると思う。
    −−「記者の目:北杜夫さんを育てた旧制高校=澤圭一郎(東京社会部)」、『毎日新聞』2011年11月25日(金)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20111125ddm004070004000c.html






⇒ ココログ版 覚え書:「記者の目:北杜夫さんを育てた旧制高校=澤圭一郎(東京社会部)」、『毎日新聞』2011年11月25日(金)付。: Essais d'herméneutique



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「富の生産、流通、あるいは蓄積に参加できないということ」は果たして「怠惰」なのか?








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 一七世紀の半ばに、急激な変化が起こる。狂気の世界が排除の世界に一変するのである。
 ヨーロッパ全土で大規模な収容施設が作られる。この施設は狂者を収容するだけでなく、少なくともわれわれからみて非常に多様な人間を収容するためのものであった−−貧しい身体障害者、困窮した老人、頑固な怠け者、性病患者、すべての種類のリベルタン、家族や王権の意向によって公式の処罰を加えるのを避けたい人々、浪費家の父親、禁令に従わない聖職者など。要するに理性、道徳、社会の秩序に対して、「壊乱」の兆候を示す人々が閉じ込められたのである。そのしばらく前に、聖ヴァンサン・ド・ポールは、サンラザールの旧癩病院を、同じような監禁施設に転換している。やがて、最初は病院であったシャラントンが、後には新しい施設の手本に従うことになる。フランスでは、すべての大都市に、「一般施療院」が解説されることになる。
 こうした施設には、医学的な使命はない。収容するのは、治療するためではないのである。社会の一員として生活していけないか、社会の一員であるべきではない人間が収容される。古典主義時代には、他の多くの人々とともに狂人が監禁されたが、ここで問題となっているのは、狂気と病の関係ではない。社会が自らとどのような関係を結ぶかであり、社会が個人の行動のうちに認めるものと、認めないものとどのような関係を結ぶかである。たしかに監禁は公的扶助の一つの手段である。多くは寄付金の恩恵をこうむっていることが、その証拠である。しかしこのシステムの理想は、それ自体で完結していることであろう。一般施療院には、ほぼ同時代のイギリスの貧救院(ワークハウス)のように、強制労働が厳存していた。紡ぎ、織り、さまざまな物を製作し、これを市場で安価に販売して、その利益で施療院を運営できるようにしていた。しかもこの労働の義務は、制裁の役割と、道徳的な管理の役割も担っていた。すなわち、登場しつつあったブルジョワ社会では、商業の世界における主要な悪徳、本来の意味での〈罪〉が定義されたばかりであった−−それは中世のような傲慢でも、どん欲でもなく、怠惰である。監禁施設に収容された人々に共通したカテゴリーとは、本人の責任または事故によって、富の生産、流通、あるいは蓄積に参加できないということであった。これらの人々は、この能力の欠如の度合いに応じて排除された。これは、近代の世界において、それまで存在していなかった分割線が登場することを意味するのである。このように監禁の起源とその最初の意味は、この社会的な空間の再構成に結びついたのである。
    −−ミシェル・フーコー中山元訳)『精神疾患とパーソナリティ』ちくま学芸文庫、1997年、136−137頁。

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フーコーMichel Foucault,1926−1984)は17世紀に誕生した強制=強制囲い込み施設としての一般施療院に収容されたひとびとの罪状を「怠惰」と指摘している。それを具体的にみると「富の生産、流通、あるいは蓄積に参加できない」人々のことが該当する。

要するに経済的合理性からあぶれる存在が「怠惰」というわけです。

17世紀に資本主義の萌芽があり、そこで経済的活動に何ら影響を与えることのできない存在が「怠惰」と認定され、それは無価値(否、半価値)と断罪の対象になる。

しかし、経済活動は、つまるところは……実体としてそうじゃないとしても……「自転車操業」のように回し続けていかないと破綻するエンドレスゲームというのがひとつの特徴です。

だとすれば、これは原発とアナロジーさせる訳ではありませんけれども、人間が始めたゲームだけど、「経済的“合理性”」を追及するっていうことは、その「止め方」を未だ学んでいない怪物なのかもと、ふと今更ながら思った次第です。

これに世俗内禁欲としての勤勉が労働を準備・蓄積していくわけだけど……、いやはや人間とは恐ろしいゲームをはじめたものです。

別に僕は専門的な経済学理論は熟知していないし(社会思想史の延長線上では理論史は理解していると思うけど)、そして、それに対する脊髄反射としてのマルキシズムも結局のところ「枠内のネコパンチ」としての惰性しているので、リアルに辟易ともします。

ただしかし……、
単純ですけども、そうした儲けの合目的性から逸脱するエトヴァスにしか、問題を照射する閃光ってのは無いのかも知れませんよ。

金儲けに参加できない人間(ないしは「金儲けで負ける人間」も含め)を人間として扱うことができないのが現代の特質なのかもしれません。

※昨日「覚え書」で「論点 原発輸出」を紹介しましたが、奇しくも「原発を輸出しようとするひとびと」というのが、「経済的合目的性」のみを総ての準拠とするのは偶然ではないのかもですよ。加えると「国益」「国益」って口を酸っぱくいうわけだけれども、結局そのスローガンからは「国益」の受益・不利益当体となる「国民」のダメージはスルーしているとか……ねぇ。
⇒関連エントリ覚え書:「論点 原発輸出」、『毎日新聞』2011年11月25日(金)付。 - Essais d’herméneutique

まあ、戻りましょう。

いずれにしても、ホント、恐ろしい時代だな。ふう。

いや、お金は大事なんですけどネ……。

だけどそれを批判する論理が「枠内ネコパンチ」しかないていうのが寂しいですよね。

想像力と発想の貧困といいますか……。

そんで、これはお金に対する議論(お金至上主義とお金糞食らえという二項対立)だけじゃないと思うのですが……。

また、清貧主義的な東洋の徳論のように安易に生き方の問題に収斂させて、戦陣訓のような精神主義に傾きたくもないのですが、それでも機軸としては、どこかで生き方とかの問題に関係させていく……しかも対自的……新しい選択枝というものは必要なんだろうと思う。

働ける人は働ける人で偉いと思う。

僕もサラリーマンの真似事?やっているからその辛酸もわかる。

だけど、字義通りの「怠惰」ではなくてですよ、働きたくても働けないって多様なパターンを一慨で排斥するような認識構造はホントに不幸しか生まない。

特に高等教育をうければうけるほど、そうした認識が強くなっていく……(くどいけど字義通りの「怠惰」ではなくてですよ)働いていない人(=経済活動に参加していないひと)=無用な存在ってイエスかノーかって基準だけで判断しているとエライことになってしまうと思うんだな。

倫理学は身近なものに注目することから始まるわけですが(アリストテレス)、身近なものとは生活であり、生活とは、物、人、自分自身との関係です。

ここで大切なのは物、人、自分自身の背後には必ず生きた人間が存在するということなんだと思う。これを失念するからお金を扱う態度もヘンになっちゃうのか。

ほんと、大変な世の中だ。









⇒ ココログ版 「富の生産、流通、あるいは蓄積に参加できないということ」は果たして「怠惰」なのか?: Essais d'herméneutique


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