月に吠える人類間の『道徳』と『愛』
-
-
-
- -
-
-
人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。
原始以来、神は幾億万人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。
とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。
我々の顔は、我々の皮膚は、独り一人にみんな異つて居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生まれるのである。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生まれるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。
私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も私一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。
−−荻原朔太郎「『月に吠える』抄 序」、三好達治選『萩原朔太郎詩集』岩波文庫、1981年、68−69頁。
-
-
-
- -
-
-
人間の共同性と孤立性の問題。
カント(Immanuel Kant,1724−1804)であれば、社交性と非社交性とでも表現するところでしょうか。
いろいろと考えさせられる詩人の一節。
詩人はそれを言葉によって象徴する。
⇒ 画像付版 月に吠える人類間の『道徳』と『愛』: Essais d'herméneutique