覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評、『哲学者クロサキの哲学する骨董』=黒崎政男・著」、『毎日新聞』2012年05月27日(日)付。


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今週の本棚:村上陽一郎・評 『哲学者クロサキの哲学する骨董』=黒崎政男・著
 (淡交社・1890円)

 ◇博識の士による不思議な「趣味」の考察
 ちょっと変わった、不思議な本である。でも、是非多くの人に読んで貰(もら)いたいと思わせる何かがある。最近テレヴィジョン放送で、「開運! なんでも鑑定団」という番組が人気だそうだ。骨董(こっとう)的価値についての何人かの専門家が、持ち込まれた名品(!?)の鑑定をし、値段まで付ける。出品者の思惑を大きく上回ることもあれば、二束三文としか言いようのない結果に終わることもあるらしい。そのスリルが、人気を呼んでいるのだろう。
 著者は、本来は、哲学研究の王道の一つ、カント哲学の専門家であり、『カント「純粋理性批判」入門』(講談社)は、名著の誉れ高いが、他方では人工知能やIT技術への関心も強く、『哲学者はアンドロイドの夢を見たか』(哲学書房)は、そうした領域の先鞭(せんべん)を付けたものとして、今に価値がある。テレヴィジョンでの科学番組のレギュラーでもあり、音楽や写真についても、趣味の域を脱した論考を発表し続けている。そこまでは、一応弁(わきま)えているつもりだったが、そして、骨董的なオーディオ装置の蒐集(しゅうしゅう)については、とみに聞き及んでいたが、この書で開陳される仏像や神像などから、古伊万里やら何やら、本格的な骨董店の店先に並ぶもの、さらには中世ヨーロッパの写本やイコンなどにまで、癖が広がっているとは、ついぞ知らなかったので、入手して一気に読了後、ほっと一息ついた上で、心のなかに、不思議な風が吹きわたったような感に打たれたのである。
 「哲学する」という標題を、あまり大上段に受け止める必要はない。もちろん、本物と偽物、オリジナルとコピーとの関係を巡る考察などは、多岐に及ぶ事例を対象とし、コピーのコピーの意味や、コピーのコピーのコピーという一種の倒錯への言及に、哲学者ならではの犀利(さいり)な分析と、どこかユーモアを湛(たた)えた著者独特の表現とを、興味深く受けとることができる。特に「地毛」のコピーとしての「かつら」を題材に、よく出来た「かつら」が、オリジナルとして「目立つ」ことが許されない、という議論から、コピーの意味を探る着眼点などは、頷(うなず)かせるところが大きい。

 また、美の概念へのアプローチにも、哲学者としての見識と、それを支える広範な教養の背景を、読者は否応(いやおう)なく見るはずだ。それはそれで、フェノロサ岡倉天心、B・タウト、小林秀雄和辻哲郎坂口安吾らの伝統の流れに通じるものがある。

 ただ著者の「骨董趣味」は、必ずしも「哲学者」的な、一ひねりも二ひねりもしたものではなく、むしろ、純粋な「好事家」的な側面も決して失われていない、というところに、読者は、どこかで安心するのではないか。「大上段」に受け止める必要はない、と書いたのも、その辺の呼吸を図ってのことである。
 もう一つ、本書の特徴は、IT技術の考察の専門家でもある著者の特性と、時代の変化とが見事に合致し、骨董やそのオークションが、すっかり様変わりしている、という新しい事態についての、しっかりした考察が、後半を占めていることだろう。それも、しかつめらしい議論の前に、著者自身の経験が多く語られるので、一般の読者にとっても親しみ易い内容になっている。しかし、こうした現象は、畢竟(ひっきょう)、骨董品のみにとどまらず、結局は紙媒体、もっと率直に言えば、書物だの、蔵書、図書館というような概念にも、波及する(あるいは、もうし始めている)という論点には、書評欄担当子としても、感じるところがある。
    −−「今週の本棚:村上陽一郎・評、『哲学者クロサキの哲学する骨董』=黒崎政男・著」、『毎日新聞』2012年05月27日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120527ddm015070010000c.html




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