覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『暮らしの質を測る』=J・E・スティグリッツ、A・センほか著」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。
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今週の本棚:中村達也・評 『暮らしの質を測る』=J・E・スティグリッツ、A・センほか著
(金融財政事情研究会・1890円)
◇GDPを超える「豊かさの指標」を求めた挑戦
自動車を運転する場面を考えてみよう。速度メーターがあり、ガソリン残量メーターがあり、走行距離メーターがある。さらに室温を示すメーターも。運転者は、それらのメーターそれぞれに目を配りつつ運転を続ける。すべてのメーターを集計した一つの数値があるわけではないし、かりにそんな数値があったとしても、それに頼って運転などしたら危険きわまりないことになる。
ところが経済の領域においては、それと似たことが実際に行われているのではないのか。GDP(国内総生産)という一つの集計値が、他のもろもろの領域の状況をまとめて示す、まことに便利な数値としてもてはやされてきたのではないのか。サルコジ前フランス大統領がどう考えたのかは、実のところ定かではないが、二〇〇八年二月、彼はGDPに代わる生活の豊かさを表現できる指標を作成すべく、委員会を設置し諮問することとした。諮問を受けたのは、J・スティグリッツやA・センなどノーベル賞受賞者五人を含む世界の知性二四人。「経済的成果と社会進歩の計測に関する委員会」に結集した彼らは、「古典的GDPの再検討」・「暮らしの質」・「持続可能な発展と環境」の三部会に分かれて、新しい指標づくりのための指針をまとめあげた。そのエッセンスを盛り込んだペーパーバック本の邦訳が本書というわけである。
後世の歴史家は、この報告書「以前」と「以降」として歴史を語ることになろう、と前大統領は大見得を切り、フランスでは、幸福度を測る統計の開発をスタートさせた。それだけでない。この報告書を全公務員の研修用必読文献に指定したという。さらにEUは、二〇〇九年に「GDPを超える幸福の指標」を重視した長期戦略を作ることを決定、二〇一〇年に発表した「ヨーロッパ二〇二〇年戦略」では、あえてGDP成長率の目標数字を掲げずに、教育水準向上・就業率向上・貧困者削減など、人間の幸福度向上に直結する数値目標を設定した。
アメリカ政府もまた、二〇一〇年、GDPを超える新指標を開発する方針を決め、健康・教育・環境などの改善度を示す指標を、GDP統計と同様に、国民がいつでもウェッブ上でその数字が見られるようにすると宣言。サルコジ委員会のメンバーの一人で「暮らしの質」部会長であったA・クルーガーが大統領経済諮問委員会委員長に就任。その初仕事として「二〇一二年大統領経済報告(経済白書)」の作成に参加し、その第八章「賢明な規制、イノベーション、クリーンエネルギー、そして公共投資を通じた暮らしの質の改善」で、報告書の趣旨を踏まえた政策を採用する意向を表明した。
フランスやアメリカとは違って、人口減が進み労働力も減りつつある日本では、GDPを増大させることはますます難しくなっているのだが、与党も野党もGDPの成長戦略をめぐってあれこれ論議しているというのが実情だ。冒頭で自動車の運転を譬(たと)えとしてあげたけれど、GDPはすでにかなりの規模にまで膨らんでいるし、中身も複雑化している。自動車よりはジャンボ・ジェット機の方が譬えとしては相応(ふさわ)しいかもしれない。そういえば、H・ヘンダーソンが、かつてこんなことを言ったことがある。GDPで経済成果を語るのは、七四七型ジャンボ・ジェット機のコックピットの計数盤上に並ぶ数多くの操縦ボタンの、たった一つでジャンボ機を運転するようなものだ、と。この報告書の投げかけたメッセージがまさにそのことなのである。(福島清彦訳)
−−「今週の本棚:中村達也・評 『暮らしの質を測る』=J・E・スティグリッツ、A・センほか著」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20120715ddm015070030000c.html